◆狸牛小説1◆

ホテルの同じフロアに部屋を持った。
それだけの縁で顔を合わせた8人の中に、そいつはいた。

結び目を丁寧に飾り布と飾り紐で結えた、やたらでかいバンダナ。兎みたいに真っ赤な瞳。
目を見張るような美人ってワケでも、女の子と見間違うような中性的な子ってワケでもなかった。
金髪の少年とふざけあう様子は微笑ましかったけれど、まぁ、
ちょっと可愛い顔した子だなって思った程度なもので、第一印象は見事にそれだけ。

むしろ眼鏡の知的なお姉さんとか、ふわりとしたロングスカートの女の子とか、
何をしでかすか分からない、モデルとピンクグローブの教え子女子高生コンビ―特にピンクグローブが
危なっかしくて仕方がない―のほうが気になってた。



…ところがどっこい。
どこでどうすっ転んだのか、オレはすっかりそのバンダナ赤目に傾倒してしまったという、
世の中どこに落とし穴があったものだか分からないって話。

まぁ、得てして人間というものは、思いのほか意外性ってヤツに弱かったりするワケで、
オレも例外に漏れず、その意外性ってヤツにひっ絡め取られた…ってところか。



奴は普段、ハゲでも隠してるのかって疑いたくなるくらい、きっちりと頭にバンダナを着けている。
バンダナから零れる髪の色を知っていたか、オレは覚えていない。
つーか多分、気にもしていなかったんじゃないかと思う。

ロクにない奴に関する知識じゃ、「若いのにハゲか、大変だねー」となるだろう、当然。
なにせ、共同浴場には絶対に姿を現さないっていう徹底ぶりだったんだから。



とはいえ、人並みに言葉を交わしもしたが、さして興味はなかった…と思う。
でかい真っ赤な瞳がくるくる表情を変えるのは面白かったし、
ブルーペンギンに「ぺそ」なんて名前をつける珍妙なセンスも面白かったが、ごく普通の少年に見えた。

そこそこ真面目で、それなりに友達もいて、それなりの成績で、ごく普通の家庭で育った―そんな感じ。
だから共同浴場を利用しない理由を考えもしなかったし、バンダナの下を見たいとも思わなかった。

奴の過去や出身地でさえ、尋ねてみようという考えすら浮かばいという、見事な無関心っぷり。
それが、何もかも知りたいと思うようになるんだから、人間っちゃあゲンキンなものだ。



奴の意外性。
それは性格でも仕草でもなく、ふと目に飛び込んだ、バンダナを外した頭だった。

川にでも落としたんだか、例のブルーペンギン「ぺそ」をバンダナにくるんで、奴は現れた。
目と同じ、真っ赤な―それこそ「真紅」と呼ばれるような髪を、風に晒して。

不覚にも、目が離せなかった。
もぞもぞとバンダナから顔を出したぺそに笑いかける顔が、バカみたいに可愛く見えた。

視線に気付いたのか、紅い目がこっちを見て、事もあろうに、人懐っこい無防備な笑みを浮かべた。
無意識に笑い返したオレに、とどめと言わんばかりに、ひらひらと手を振ってみせたりするから、
ずきゅーん、ってなモノですよ、そりゃあ。

あれで落ちないヤツがいたら、ぜひともその精神を分けて頂きたい。
今さら分けてもらったところで、すでに手遅れかもしれんが。



まぁ、気になっちまったものは仕方がない。
近付いてみて、この感情が錯覚だったと分かったら、めでたしめでたし。
錯覚じゃなかったとしたら、それはそれで、陥落させる手を探すまで。

というワケで、オレは今、さっそく奴の部屋のドアをノックしているワケだが…返事がない。
すっかり馴れ合ったこのフロアの住人は、ほとんど部屋に鍵をかけない。
つまり、このドアも8割方開いているっていう寸法だ。

「ファルくーん、留守ですかー?勝手に入るぞー」

案の定鍵はかかっていなかったが、部屋は空…いや、ベッドの上で、「ぺそ」がすっ呆けた顔をくりん、と傾げている。
ベッドに座ると、ぺそはスプリングに揺られながら、不思議そうにオレを見上げた。

「よぉ、ぺそ。ご主人様はお留守ですかー?」

ふわっふわの毛に包まれた頭をぐりぐり撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
飼い主と同じで人懐っこいのかね、こいつも。



…ん?水音?

入ってきたドアの横、備え付けの狭いバスルームから、水音が聞こえる。
あの子の性格なら、オレと違って、女を連れ込んでるって事はないだろ、多分。
すると中身は、9割方当人か。

……突撃ー。

「ファル、いるのかー?」
「え!?」

首に張り付く真紅の髪も、濡れた肌も、オレの目を留めなかった。

背中、右の肩甲骨から左腰まで袈裟がけに刻まれた、大きな切創痕。
ファルはすぐに背中を壁のタイルに貼り付けたが、その痕は、オレの目に焼き付けられた。

複雑な表情を浮かべた、ファルの顔。そんな顔されたら、冗談も言えなくなっちまうだろうが。

「…すまん」

短く謝って、バスルームのドアを閉めて、そのまま部屋から出ようとして―やめた。

このまま出て行ったら、次に会った時には、多分何も聞けない。互いに何もなかったフリをする。
オレは、見極めに来たんだ。

相変わらずベッドの上で首を傾げるぺそを撫でながら、オレは奴が出てくるのを待つ事にした。
水音は、まだ止まない。



ようやくバスルームから出てきたファルは、きっちり服を着込んで、ご丁寧に髪まで上げていた。
目が合うと少しだけ困ったように笑って、オレの横に座った。スプリングが僅かに跳ねる。
オレの膝の上で大人しくしていたぺそが、心なしか嬉しそうに、ファルの膝に移動した。

「やなモノ、見せちゃったね…ごめん。気分、悪くしたよね」

オレが口を開く前に、ファルが俯いたまま、小さく声を出したから…謝るタイミングを失った。くそ。

「……どうしたんだ、その傷」
「故郷で、ちょっと…事件があって、実力もないクセに、つい首突っ込んじゃって」

「お前さんの性格で、理由もなしに?」
「…知ってる子供が、斬りかかられそうになってて」

「…庇ったのか。お前さんらしいが」
「ちょっと派手だから、気をつけてたんだけど…ホントごめん」

「いや、そりゃ多少驚きはしたが…謝る必要ないだろ」

どっちかっつーと、勝手に入ったオレのが謝罪するべきじゃないか?
そう続けかけて、けれどオレの口は勝手に止まった。
不安げに上目で見上げてくる顔に、バカみたいに心臓が跳ねた。

錯覚じゃないって事か?いや、諦めないぞ。自分で言うのもなんだが、オレは稀代の女好きだ!

「ソレがあるから、共同浴場避けてたワケか」
「…うん」

「ライオあたりに誘われただろ。理由は言ってあるのか?」
「一応…納得してるかは微妙だけど」

すると、オレしか見てないって事か?いや、別に嬉しいわけじゃないが。

視線をファルに移すと、ぺそを指先でじゃらしていた。
だが、その表情はまだ重い。オレの所為、だよな、確実に。

「よし、分かった、オレも男だ。脱げ」
「…はい?」

「傷だよ傷、背中の。中途半端に見たから妙に気になる、ちゃんと見せろ。がっつり」
「が、がっつりって先生」

「例えばアレだ、女の幽霊がそこにいるとする」
「例えでも人の部屋で『そこにいる』とか言わないで欲しいんですけど…」

「はい授業中の私語は禁止な。そこにただ幽霊がいる!って思ったら、怖いだろ?」
「怖いです」

「正直でよろしい。で、その幽霊が人に危害を加えない、笑顔の優しい美女幽霊だって分かったら?」
「怖くないです」

「だろ。つまりだ、物事は明解でない状態だから恐怖を覚えるのであって、分かっちまや怖くないんだよ」
「…だから?」

「だからさっさと傷見せろって話だ。それともナニか、オレに恐怖で打ち震えろと?」
「きょ、恐怖?」

「物の例えだよ、ファル君。で、明解にして貰えるのかな、貰えないのかな」

頭の上に?マークがどっさり見えそうな顔で、ファルは黙り込んだ。
相手をしてくれていた指が止まった所為か、ぺそが丸い瞳でファルを見上げた。

「うーん、よく分かんないけど…まぁいいか、先生だし」
「…えーと、その発言は、先生に絶対的信頼感を抱いてるって意味ですか?」

「や、先生なら必要以上に言いふらしたり、余計な脚色する事もないだろうから。
 先生って、聞かれない限りは、人の事も自分の事も話さない人っぽいし」

こいつにだけは言われたくねぇな、それ。
よほど親しくならない限り、聞いても最低限しか話さなそうだし…まぁいい、今に見てろ、赤毛バンダナ。

燃え上がるオレの心情を他所に、ファルはオレに背中を向けて、スルッと上着を脱いだ。
見ているほうが痛くなるような、派手な傷痕。

…隠したがるのも、分かる気がした。

「痛かった…だろうな」
「あー…あんまり覚えてないんだ、実は。必死だったし、すぐに気失っちゃったし」

「よく生きてたな」
「運が良かったんだろうって、医者の先生が」

「親に泣かれただろ」
「うん、泣かれた。弟にも」

「弟くん?」
「うん、双子の弟。『バイオレンス担当は俺なんだから、ファーはそういう事するな!』って怒鳴られた」

「ファル、で、ファーか」
「もういい?寒い」

「そうだなぁ…オレもファーって呼んでいいなら、いいよ」
「あ?あー、うん、別に構わないけど」

嬉しくなんかないぞ、断じて…と言いたいところだが、どうやら錯覚じゃなかったらしい。
気を抜けばニヤニヤしてしまいそうな顔を繕って、オレはファル…ファーの頭を撫でた。

「ちょ、うわ、せっかく立てたのに!」

つんつんに立った髪をわしゃわしゃと掻き回すと、案の定、非難の声が飛んでくる。
…面白い。

「先生のバカ、鬼教師!どれだけ時間かかると思ってるんだ!」
「なかなかバスルームから出てこないと思ったら、コレが原因か。どうせバンダナで隠すくせに」
「でっかいお世話です先生っ」

「毛ぇ立てたって、身長は誤魔化せないぞー?牛乳飲め、牛乳」
「くぅぅ、人が気にしてる事を…鬼!タヌキー!」

「…全部下ろしてやる。それどころか三枚に下ろして叩きにして売ってやる」
「う、わ、ちょ、ああああ!やめっ、やめー!!」




以上で、今回のオレの話は終わり。
ん、その後か?ファーに胸倉つかまれて怒られたさ。
「今度おれの頭に触ったら、アタマにハードアタックだからな!」だとさ。
なんとも色気のない結末だが、まぁそれは追々、少しずつ、な。

…待ってろよ、赤毛バンダナ。


続く→

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初小説はタヌヌ視点の狸牛。
未熟でおよよな点ばかりですが、頑張ります。