◆龍狸/傘下
サングラスの水滴を払って、大きな溜め息をひとつ。
見上げれば空一面の灰色の雲、降る雨は止みそうにない。
さっきまで、あんなに晴れてたっていうのに。
とっさに逃げ込んだのは、とても大木とは言えない、ごく普通の木の下。
贅沢の言える状況じゃないのは分かってるが、あまり上出来の傘じゃない。
ハッキリ言ってボロ傘もいいところ、時々落ちてくる雫は冷たい。
ついてない。ホントついてない。
ちょっと気が向いて散歩に出ただけだってのに。
せめて誰か、見知った顔のひとつも通らないかな。
一緒に雨宿りもいいし、ひとつ傘の下で笑いあうのも悪くない。
もしそれが想い人なら、この悪運もこの上ない幸福だ。
通信機能を使って、誰かに迎えに来てもらうって手もあるか。
他に用事さえなければ、ほいほい来てくれそうな子も何人か居るし。
できれば、誰かが気を利かせて迎えに来てくれれば最高なんだけど。
ふと雨にけぶる道に人影を見つけて、オレは目を凝らした。
ゆっくりとした速度、十中八九傘持ちだ。
見知ったヤツ来い。
できれば気のいい子来い。
更に欲を言えば、好きな人来い。
見えてきたそのシルエットは、よく見知った長身。中途半端に祈りが通じやがった、畜生。
数歩の距離まで近付いて、ヤツはちらりとオレを見て…そのまま足も止めずに通り過ぎた。
「ちょ、ちょっと待てぃ!」
ようやくジーンズに包まれたその足が止まって、再びちらりとオレに視線を送った。
「何か用か」
「いやいやいや、この状況見れば分かるでしょ」
「知らん」
「入れて下さい」
こういう他人を寄せ付けないタイプは、素直な物言いに弱い。たぶん。
「断る」
おぅのぅ。
一匹狼の中の一匹狼か、キングオブ一匹狼なのか。
「そこをなんとか。オレとリュウさんの仲じゃない、ね?」
「他を当たれ」
「先生と相合傘するの、そんなにイヤ?」
「考えてみろ。俺の体格プラス貴様の体格。この傘に収まると思うか」
リュウの手の中の傘は、ごく普通のサイズ。
対し、身長175強の男性二人。
考えてなかったが、考えるまでもなく許容量オーバーだ。オーバーし過ぎだ。
「…や、でもさぁ、止みそうにないんだよね。ここ携帯圏外だし」
ホテルを中心にちょっとした店が並ぶこの辺りは、生活区域と呼ばれている。
目的地に一瞬で飛ばしてくれる簡易転送装置、いわゆる"携帯"は、生活区域内では使えない。
外からホテル前までは飛べるけど、ここから携帯圏内までは、必死で走っても濡れ狸決定だ。
いや、先生狸じゃなくてアライグマなんですけどね。
盛大な溜め息を吐いて、リュウの足がこっちを向いた。
わざわざオレの目の前まで来て、一言。
「見返りは」
「はい?」
「所詮この世はギブアンドテイク…ライオが言っていた」
どこでそんなしょっぱい言葉覚えたんだ、あの小僧さんは。
「ええと、じゃあ、そうねぇ…先生のサイン入りブロマイド、あ・げ・る」
「いらん」
「ちょ、一刀両断かよ。じゃあ先生のサイン入り」
「いらん」
「言い終わる前に斬り捨てんなよ、先生泣いちゃうぞ!」
リュウの顔があからさまに不機嫌になってきてる、このままじゃ確実に濡れ狸決定だ。
木の葉を縫って落ちてくる雫に、体は冷え切ってる。
濡れた服が気持ち悪い。
いっそのこと、引き金に指を掛けてやろうか。
「じゃあさあ。リュウさんは、いったいオレに何をして欲しいワケ?」
「貴様に出来る事など、限られているだろう」
不敵な笑みに返されるのは、やっぱり不敵な笑み。
「お前さんが受け入れる条件の方が、よっぽど限られてるでしょ」
「下らん。最善なのは、どう考えても貴様を無視して一人で帰る事だろう」
「そうしないのは、先生と遊ぶのも悪くないかなーなんて思っちゃってるからかな?」
「ほざけ」
鋭い刃の切っ先を突きつけあうような、この感覚。
我ながら、酔狂この上ない。
傘を差したまま、リュウがゆっくりと近付いてくる。
一歩下がった背中が、木の幹に当たる。
アゴに触れた指は、雨に濡れたオレよりも冷たい。
手が冷たい人は、心が温かいんだっけ?まぁ、こいつの場合は該当外、ただの冷え性か。
「ん、っ…」
噛みつくようなキスに、わざと鼻から声と息を抜いた。
細められたリュウの濃紺の瞳に浮かぶ色。
オレの瞳にも、同じような色が浮かんでいるんだろうか。
「あの、リュウさん…まさか、ここで?」
「寒いし濡れたくない。戻るぞ」
「え、ちょっ…傘に入れてくれるんじゃ…待っ、ちょっ、リュウ!」
さっさと歩き出したリュウの後を、慌てて追った。
というか、傘に入れてくれる代わりにって話だったんだし、つまりはこれって交渉決裂だよな。
傍若無人なリュウに、その理屈が通るかは…結局、リュウの気分次第だろうけれど。
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相変わらず遊びだか本気だか分からない龍狸、不穏ですけど妙に萌える関係ですよね。
…私だけですかね。