◆狸牛/記憶-1

木々が紅く染まるその季節が、おれは好きだった。
普段は笑えるくらい浮いて見える紅い髪が、それほど目立たなくなる、短い期間。

秋祭りの太鼓と笛の音、雑踏、誰のとも分からない、楽しそうな笑い声。木々と提灯の、鮮やかな赤。
去年も、一昨年も、その前も、その日はそんな音と色に包まれる日だった。

ろくな娯楽もない小さな村だったけれど、見知らぬ顔のない、穏やかで温かな村。
そこが、おれ達の故郷だった。



笛の音が聞こえない。
さっきまで聞こえていた悲鳴も、もう聞こえない。

土と埃の臭いのする倉庫の中、コンテナの陰。
震える双子の弟―ティーを片腕に抱いて、小さな子供を抱いた若い女の人―セリカさんの背を抱いて、
おれはただ、耳を欹(そばだ)てていた。

微かに聞こえるのは、何かが燃える音と、崩れる音。

「ハンターが」

腕の中で、ティーが呟いた。

「やっとハンターが来たのかな」

普段は気丈なティーの、憔悴しきったその顔が悲しくて、おれの真っ赤な髪とは違う、金色の硬い髪を撫でた。

「静かになったから…そうかもしれないね」
「遅ぇよ、バカ…」

湧くようにして突然現れる魔物を、ハンターと呼ばれる人たちが狩る。
けれど、それは死と隣り合わせの職業で、それを好き好む人なんて、そうそういない。

元々数が少ないのに、魔物との戦闘で命を落とす人数だって少なくないから、いつも人手不足だって聞いた。
そんな状態で、こんな小さな、それも街から遠く離れた村に、そんなに簡単にハンターたちが到着するはずがない。

でも、静かだった。
狩りつくして、村から出て行ったんだろうか。
目に付く生き物を―村の、皆を。何かを察したのか、セリカさんが不安そうに瞳を揺らした。

「ファル、くん…?」
「様子、見てきます」

立ち上がるおれの腕を、ティーが引いた。

「オレも、行く。ファーはオレが守るって、親父と約束したんだから」
「ティーは、セリカさんたちを頼むよ」

「またあの時みたいに、オレがいないところで怪我して、オレが知らないうちにでっかい傷―」
「すぐに戻ってくるから、大丈夫。10分で戻るよ。いい?」

「…戻らなかったら、セリカさんたち放って、捜しに行くからな」
「うん」

ティーの頭を撫でて、セリカさんに笑って見せて、ゆっくりと裏口へと向かう。
裏口の小さなドアからは、大きな魔物は入ってこられない。
もしまだ魔物がいて、侵入してきたとしても、おれやティーでも片付けられる。

そっと、ドアノブを回す。わずかに開けたドアの隙間から、紅い光と熱気が零れた。気配は感じない。

村が紅い。
木も、家も、祭りの提灯飾りも、紅く黒く燃えている。

櫓や出店の立っていた、人々が集っていた、村の中央広場も―紅い。
もうすぐ雪も降り始める秋なのに、こんなにも熱い。

道に、広場に、燃える家の前に、学校の先生や級友、近所の人々が倒れている。
木に寄りかかるようにして目を閉じる、セリカさんの旦那さん。脈は―無い。

ふいに目に飛び込んだ、草むらに沈みこむように倒れた二人の、その服。
違う、見覚えなんかない。きっと気のせいだ。

後から私たちも行くから―そう言って、出店の手伝いの為に先に家を出たおれ達を見送った、両親の笑顔。

ティーがいなくて、よかった。心から、そう思った。
寄り添うように倒れていた二人の、表情さえ読み取れない頭に、脱いだ上着をかけた。
麻痺したみたいに、涙は出ない。

風。何かの落ちる音。
何かを踏む音―足音?

とっさに飛び退いたおれの鼻先を、ぶんと重い音を立てて、何かが通り過ぎた。風。
太い腕を重そうに振り上げて、大きな猿のようなそれは、高い雄叫びを上げた。

逃げなきゃ、と思った。

長く太い腕を使って、それは嬲るように、ゆっくりと近付いてくる。
その気になれば、かなりの速度で獲物を追える。そんな気がした。逃げられない。

振り下ろされた腕を避けて、懐に飛び込む。

骨格を見極めて、急所に深い一撃を―全身をバネにして―心はひとつに置かずに―
格闘技の師匠に言い聞かされた言葉が、笑えるくらいに忠実に蘇る。

訓練用のマシンよりも何倍も重い手応えに、打ち込んだ足が痺れた。
反動を利用して、距離を置く。目の前の魔物以外の気配は、とりあえず感じない。

ふっと細く息を吐く。再び踏み込み、胴体と腕に見合わない短い足に、一撃。
倒れこむ巨体に巻き込まれないうちに、再び退く。

再三。地面に接した―手の届く位置に下がった頭に、一撃。
魔物は、搾り出すような唸り声を次第に弱め、完全に沈黙した瞬間に、空気にずるりと掻き消えた。

大人の指先ほどもある牙が、コロンとひとつ、存在した証明であるかのように、地面に落ちた。
息を吐き出す。

気配。
火の燻る家の陰から、たった今打ち倒した魔物と同じ型の魔物が、ゆらりと姿を現した。

体は初めての実戦を終えた緊張からか、異様に重い。捌けるだろうか。

ふと耳に入る、重いが魔物のそれとは明らかに違う、足音。近付いてくる。
躍り出るなり、それは魔物に巨大な剣を振り下ろした。男。一瞬で魔物が掻き消える。

剣先を地面に突き立てて、牙を拾い、その人はおれを見下ろした。

「お前はハンター…ではないだろうな、若すぎる。こいつはお前が倒したのか?」
「ハンターの方、ですか…?」

「20人のハンターが村中を走り回っている、すぐに片付く。ひとり、か?」
「いえ、村はずれの倉庫に、3人…おれは、様子を見に」

「一人で、か?無茶を…慢心すると命を落とすぞ」
「慢心?どうやって…助け出す自信がなかったから、隠れる事しかできなかったのに」

普通の人に毛が生えた程度の腕で、多くの村人を守りながら、見も知らぬ魔物の相手など―出来るはずがない。
それを知っていて、腕に3人の命を抱いていて、それでも飛び出す事など―出来るはずがなかった。

「知った声が―悲鳴が聞こえる中で、おれは…っ」
「もういい、分かった。…遅くなって、すまなかった」

頭を胸に抱き寄せられて、ようやくおれは、自分が泣いているのに気付いた。



一瞬自分がどこにいるのかを見失って、暗い天井をみつめたまま、記憶を探る。

どこぞの資産家が亡くなって、莫大な遺産を隠したっていう、巨大なテーマパーク―カバリア島、
トレジャーハンターたちに貸し与えられたホテルの一室、だ。

「…夢」

ぽつり、と口にしてみる。静かな部屋に浮かんだ声が、何となく現実味を帯びていて、安心した。
ずっと見ていなかった、5年前の記憶の、夢。

ファル・グレン、ティガ・グレン、セリカ・マノア、エール・マノア。
結局あの村で生き残ったのは、あの場にいたおれ達だけだった。

身寄りの無かったおれとティーは、あの日出会ったハンター達の好意で、彼らの住む街へと降りた。
その街で、学校に通いながらハンターの訓練と試験を受けて、おれたちはハンターになった。

セリカさん親子は、村から遠く離れた町にあるという、セリカさんの実家に身を寄せるって言っていた。

壊滅した村で生きるのは困難だったし、何より、変わり果てた村を見続けるのは、辛すぎたんだ。
あの村は、本当にいい村だったから。

時計を見ると、午前4時。まだ早いけれど、もう一度眠る気にもなれない。
ベッドから降りて、カーテンを少しだけ開けてみる。外はまだ暗い。

5年。あの日からもう、5年経った。

失ったものは、もう戻らない。
温かい記憶は、少しずつ色褪せながらも、おれの中に残ってる。

だから、もう大丈夫なのに…今更、あんな夢に揺さぶられるなんて。

早く、夜が明けるといい。
そう思った


続く→

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牛視点に挑戦。捏造は…今更ですがごめんなさい(・ω・`)