◆狸牛/記憶-2

風が吹いて、鮮やかな木の葉が流れる。

師匠に貰った片刃の剣―カタナの柄を握る感触と重みに、意識を集中する。
修行の意味もあるけれど、気持ちが落ち着くから、時々こうして剣を構える。

聞き慣れた重みの足音。近付いてくる。

いつもしっかりと足音を立てて人に近付くのは、相手を驚かせない為なんだと思う。
必要なとき―休んでいる人がいる部屋の前とかでは、ちゃんと足音を抑える人だから。

「ファー、一休みしないか?」

銜えタバコで、ラク先生が悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
息を吐くと、波が引くように、気持ちが落ち着いたのが分かる。

これなら、大丈夫だ。

樫の木の根元に座って、幹に背を凭れた。
隣、タバコを銜えたままの先生が、風下側に座る。

先生は、おれがタバコの臭いが苦手なのを、気にしてくれる。止める気は、ないみたいだけれど。

「でさぁ、酷ぇんだぜー?ライオのヤツ、新作味見とか言って、調合失敗の応急ヒルポよこしてさ…」
「飲んじゃった?」

「いや、飲めたものじゃなくて、吹き出したけど…一瞬あの世が見えたよ」
「あはは、戦闘中じゃなくてよかったねー」

「戦闘中にそんなもの渡されたら、敵より先にライオを沈めるさ」

剥き出しの髪を風が通り抜けて、気持ちがいい。
いつからだろう、遠出をしないときは、何となくバンダナを着けなくなった。

「ファー」

大きな手が、くしゃりとおれの髪を撫でた。

「…何か、あったか?」

ちくん、とどこかが痛んだ。
無関心を装いながら、それでも先生は、知りたがる。

話したく…ない。話しても仕方のないことだ。

「何でもないよ、ちょっと…夢見が悪かったから、調子出ないだけ」
「巨大なセロリにでも、追いかけられたか?」

「ん…そんなトコ」

優しい手が、またくしゃりと髪を撫でた。何だか懐かしくて、泣きたくなる。

「ちゃんと、眠れたのか?」
「…うん」

青紫色の瞳が、困ったように笑った。

先生は優しいから、嘘をついても、気付かないフリをしてくれる。
嘘をつくのは苦手だし、好きじゃないけど…でも、どうしても話したくない。

「そういや、前にさ、皆でツタン倒しに行っただろ?」
「ん、うん」

ホテルの同じフロアの…いつものメンバーで、少し前にピラミッドに出掛けた。

この島に来た当初から、何度倒しても復活する、特殊な魔物がピラミッドには住んでるって噂があった。
その話に何人かが興味を持った…っていうのが、出掛けることになった理由だったと思う。

全員で無事に戻ってこられたけれど、さすがに疲労が濃くて、数日は皆でのんびり過ごしたんだっけ。

思い出すおれの横で、先生がゆっくりと煙を吐いた。

「皆でホテルに戻った後、何で屋上に居たんだ?皆、疲れて部屋で休んでたのに」
「ピラミッドの中、ヘンに空気篭ってたから…風に当たりたかったんだ。先生は?」

「…あいつ、人と同じ言葉を使ってただろ。なんていうか…妙に、シコリみたいになってな」

あの日、先生はホテルの屋上で、ぼんやりと空を眺めていた。
いつも銜えているタバコは、ジャケットと一緒に床に無造作に置かれていて…様子がおかしかった。

「お前に、訊いたよな。魔物の命を奪う事に、抵抗はないのかって」

魔物は、倒すと掻き消されたみたいに、空気に消えてなくなる。
存在の証を残すみたいに、その姿を象徴するモノを残す事もあるけれど、姿は完全に消滅する。

だけど、殴ったり切ったりした時の手ごたえは、生命そのもので…いつまでも、慣れはしない。

「ファー、何て答えたのか、覚えてるか?」
「…抵抗はあるけれど、生きてるから、大丈夫」

「最初は言葉が足りなすぎて、全然意味分からなかったんだけどな」

携帯用のアッシュトレイに短くなったタバコを押し込んで、先生は苦笑した。

「狩らなきゃ自分たちが狩られる、って意味か、生きていれば何でも越えられる、って意味か…
結局今も分かってないんだけどさ。それでも、随分救われたんだ」

髪を撫でていた手が下がって、頬を包んだ。

「外界で、意味を持って魔物を倒してきたお前が、管理されたこの島の魔物を滅ぼす事に対して、
苦い思いを抱いていないハズがないのに…それに気付いていながら、オレはお前に訊いたんだ」

「別に、気にしてなかったよ?普通に訊かれただけだと思ったし。だから」
「それでも、オレは救われた」

優しい瞳。気を抜けば、すぐにでも甘えてしまいそうな、包容力。
本人は執着していないけれど、教職は、ラク先生にとっての天職のひとつだと思う。

「話さなくてもいいから、また怖い夢見て眠れなくなったら、先生の部屋においで」
「…うん」

「よし。じゃ、今日の授業はおしまい。暗くなる前に、帰りなさいね」

親が子供にするみたいに、先生はおれの額にキスをひとつ落として、笑って立ち上がった。
引き止めたい気持ちを飲み込んで、伸ばしかけた手を抑えた。

風に翻るジャケットを掴めば、先生はいくらでも付き合ってくれるだろうけれど…
引き止めても、多分おれは、何も話せない。

話しても仕方がない事だって、分かっているんだから。



先生の言葉に従ったワケじゃないけれど、日が落ちる前にホテルに戻った。

ホテルの空気が、ザワザワしてる。悪い感じじゃなくて、何だろ…イベントがある前とか、そんな感じ。
この島では、季節の祝い事を大々的に行うのが普通みたいだから、また何かあるのかもしれない。

ぼんやりと考えていたら、急に後ろから抱きつかれて、慌てて体のバランスを保った。

「ファールー!なななな、聞いたか!?」

明るい金髪と愛用のゴーグルが目に入る前に、ライオの明るい声が、耳のすぐ横で響いた。

「何を?」
「祭だよ、ま・つ・り、カーニバル!いや違うか、フェスティバル?」

「…ほ?」

「何を祭るんだか知らないけど、祭やるんだってさ!
出店とか屋台とか櫓(やぐら)とか、なんか色々もう準備されてるし!ちょい、こっち、早く!」

ぐいぐいとロビーの大きな窓まで引っ張られて、ライオの指が、ガラス越しに外の一点を指した。

「ほら、あの辺。今夜から3日間だって、皆で夜にでも行こうかって、ラヴィたちと話してたんだ」

広場の中央に大きな櫓、その周りをぐるりと出店と提灯が取り囲んでいる。

ぞくり、と背中に嫌な感じが走った。古い光景が、鮮明に蘇る。
炎に包まれ、崩れる櫓…紅く染まった、村。

「な、ファルも行くよな!ホテルで貸してくれるとかで、浴衣、先生たちが用意してくれてるし!」
「あ…うん」

あれ以来、なんとなく祭には行っていなかったけれど…避けていたってワケじゃない…と、思う。
一度行ってしまえば、きっと何ともなくて、普通に楽しくて…拍子抜けするんじゃないかな。

もう、5年も経ってる。大丈夫。

ライオの故郷の祭の話を聞きながら、湧きあがるように溢れてくる不安を、おれは無視した。


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カーニバルは謝肉祭でフェスティバルが祭りだそうで(´_ゝ`)
いまいち盛り上がりに欠けたまま、次で終わりですエヘ。