◆開始-羊と龍(羊・龍)

海に面する小さな町に、古びた小さな建物がありました。
童話、小説、歴史書…色々な種類の、様々な書物が内蔵され貸し出される建物―ええ、図書館です。

私は学校帰りに毎日のようにそこに寄って、色々な本と出会いました。
沢山の知識、沢山の物語。素敵な時間を与えてくれた、大切な場所。
この町の図書館の司書さんになりたくて、一生懸命勉強して、最年少で司書の資格を取って。

…馴染みの司書のお姉さんから、そのニュースを聞いたのは、その矢先でした。

「え…?閉鎖…?」
「そうなのよ、イプちゃん。ほら、最近この町、人口がどんどん減ってるでしょ?」

彼女の言うとおり、近くに出来た大きな街へと移住する人が増え、この町は少しずつ閑散としていってます。
この図書館で時々顔を合わせていた人たちも、ひとり、またひとりと見かけなくなりました。

「利用者の少なさと、維持費の事情なんですって…。この町には、ここしか図書館は無いのに」
「どうにか…ならないんでしょうか。署名を集めるとか、町長さんにお話を…」
「館長が掛け合ったんだけど…街から定期的に移動図書館が来るから、の一言で片付けられちゃったって」
「そう…ですか…」

それでも、何とかしたい。けれど、もちろん私にはそんな力はなくて、どうしようもなくて。

気持ちばかりが焦る私の目に飛び込んだのは、図書館の掲示板に貼られた、一枚のポスター。
『隠された遺産を発見した者に、資産の全てを譲る』―。

有名な大富豪が逝去したというお話は、世情に疎い私でも、幾度となく耳にしていました。
その方の遺言で、遺産を隠したテーマパークをトレジャーハンターに解放する、というお話らしいです。

総資産…というのでしょうか、遺産がどれほどのものかは私には想像もつきません。
けれど、もしそれを見つけることが出来たなら、きっとこの図書館を何とかする事ができる。

見知らぬ人、見知らぬ場所、見知らぬ世界―そこに飛び込むのは、すごく怖い。
でも、頑張らなくては。
沢山の知識や物語を与えてくれた図書館に、今度は私が恩返しをしなくちゃ。

旅行用の鞄に必要な身の回りの物と、旅費と、お気に入りの本を数冊詰めて、私は家を飛び出しました。



大きな船の中は、強そうな男の人たちでいっぱいでした。
怖いからお部屋に篭っていようかと思ったけれど、船内の篭った空気はひどく不快です。

何かあったら、走って部屋に戻ろう。そう決めて、本を抱いて甲板へと出てみました。
嗅ぎ慣れた町の潮風よりも幾分か匂いの濃い風は、とても涼しくて、ホッとします。
少し歩いて、人気の無い場所に座りました。近くには扉も無いし、ここなら通行の邪魔にもならないでしょう。

一息ついたその時、ふいに目の前に何かが降ってきて、驚きのあまり私は息を飲みました。
ゴトン、と音を立てて甲板に落ちたのは、古そうな革表紙の本。
誰かが落としたのかと上を見ても、木製の手すりが見える以外、影ひとつありません。

…神様からの贈り物?

重い表紙を開くと、見たことのない文字が並んでいました。
図書館で偶然見つけた魔道書に、ちょっと似ているけれど…内容は、一文字として読めません。
これが読めたら、図書館の魔道書で覚えた回復魔法以外の魔法も、使えるようになるのかな?

急に本に影が差して、空を見ようと無意識に顔を上げた先。
呼吸を乱して肩を上下させた背の高い青年が、じっと私を見下ろしていました。

ええと、ええと…そう、走って逃げなきゃ…!

「その、本…」
「…え…?」
「落とした…上で」
「上…あ、それじゃあ、この本はあなたの…?」
「…だから、そう言っている」

不機嫌そうに睨まれて、思わず首を竦めてしまいます。

その人は、肩に下りた長い髪を煩そうに払いのけて、私のほうに手を差し出しました。
立て…ってことでしょうか…?でも、どうして?

迷っていると、また不機嫌そうな声が降ってきます。

「…本」
「あ…はい!」

開いていた革表紙を閉じて、少し指先の荒れた、大きな手に本を載せました。

この人も、書物に沢山触れてるのかもしれません。
私の指も、ケアしないと紙と埃にやられて、すぐに彼の指のようになってしまうから。

本を脇に抱えて、けれどその人は立ち去ろうとはせず、訝しげに私を見下ろし続けています。
怒ってるんでしょうか…勝手に読もうとしてしまったから。

「あ、あの…ごめんなさい、勝手に読んでしまって…」
「…読めた、のか?この本を」
「い、いえ、見たこともない文字で…全然…」
「…そうか」

安心すると思ったのですが、彼は寄せていた眉を一層寄せて、本の表紙をじっと見つめています。
もしかして、この人にも読めないんでしょうか。

「あの…その文字、どこの言葉…なんですか…?」
「…知らん」

無愛想に一言で返されて、ちょっと泣きたくなりました。男の人は、やっぱり苦手です…。

「……読める人間を、捜している」

おもむろに言葉を紡ぎ始めたから、一瞬、説明をしてくれているんだと気付きませんでした。
一生懸命涙をこらえて顔を上げると、その人の蒼い目は、やはり革表紙に向けられています。

「この本を解読する事が、近い未来に滅びるという、俺の一族を救う鍵になる…らしい」
「ほ、滅びる…?」
「そう予言が下りた…らしい。…お前は、読めないんだな?」
「は、はい…全然…」
「………」

くるりと突然踵を返して、その人は歩き出しました。

「あ、あの…言葉に詳しい方に会ったら、ご連絡しましょうか…?」

ぴたりと足が止まって、ジロリと睨まれて、首が竦みました。
言わなければよかった…。

「…リュウ」
「…え?」
「名前」
「あ…リュウさん、ですね、判りました。あ、私はイプです…イプ・スプリング」
「…ああ」

やっぱり無愛想に短い返事をして、スタスタとリュウさんは去って行きました。

ちょっと怖かったけれど、少しだけ安心しました。
筋骨隆々な男の人ばかりだったらどうしようと思っていたけれど、
リュウさんのような変わった細長い人もいたし、私くらいの女の子も居る気がします。

そう思った途端、水色の髪の元気そうな女の子と目が合いました。
どちらともなく笑って、彼女はパタパタと小走りに駆け寄ってきます。
お友達に、なれるでしょうか…?

遺産が見つけられなかったとしても、素敵なお友達や思い出ができるといいな…。

終。


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無口に人見知りをぶつけてはいけません。
という教訓を学びましたorz