◆師弟(牛・ケイ師匠)

初めて歩く区域を目の前に、風に揺れるバンダナの飾り紐に無意識に触れた。

海上の船から見たこの島は小さかったけれど、実際に歩いてみると、けっこう広い。
色々な場所に行ってみたけれど、まだ行ったことのない区域は沢山ある。
剥き出しの茶色い岩の谷間の道を、おれは少しだけドキドキしながら進んでいた。

この谷を見下ろす高台から、奥の拓けた場所に、茶色い小屋みたいなものが見えてた。
その先がどうなってるのかは知らないけど、とりあえずの目標は、その小屋。

道を闊歩する大きな魔物は岩のような形をしていて、すごく硬そうに見える。
幸い動きが鈍いから、間を縫うように移動して、交戦を避けてた。

体術が武器なのは、装備に左右されにくい点では便利だけど、こういうときは困るかも。
少しは剣も使えるんだから、持ち歩いたほうがいいのかな。

…なんか、黒いのが居る…。

避けてきた大きい魔物をそのまま小さくした感じのそれは、それでも小柄な大人くらい。
鈍重だった今までの魔物に比べると、スマートで機敏そうな体型をしてる。

やだな、ああいうのって足速かったりするんだよね…どうしよう、一度戻ったほうがいいかな。

そう思った矢先に、水色の塊が目の端に転がった。
黒いのが追い掛け回してるけど…毛玉?

「ぴー!」

鳴き声?毛玉じゃなくて、生き物?いじめられてる?

岩壁に追い詰められた毛玉が、登ろうとしてるのか、岩に向かって跳びついた。
谷の岩壁は数十メートルの高さを誇ってる。
毛玉はあっけなく壁に跳ね返されて、ぽてんと地面に落ちた。

黒いのは毛玉を取り囲んで、じわじわと迫ってる。
地面から起き上がった手玉は、岩壁にぺたりと貼り付いて、がくがく震えてる。

世界は弱肉強食、目の前の光景は自然淘汰。
だけど、目の当たりにしちゃった以上、放っとけない。

黒いのの中心に向かって一気に走り込んで、毛玉を抱き上げた。
退路を作る為に、取り囲んでる魔物の一体に蹴りを打ち込む。

怯ませられるだけで充分だと思ってたけど、足に響く硬い感触と痺れ…これは本気で無理かも。
背後は壁、逃げ道も距離を置くようなスペースも無い。

「ぴ…」

腕の中で不安げに鳴いた毛玉を撫でて、もう一撃。
敵がよろけた隙に、間を走り抜けた――つもりだった。

すぐに体勢を立て直した魔物が無造作に振り上げた腕、避けきれずに左肩に当たった。
痛みが来る前に、岩壁に激しく背中を打ちつけて、呼吸を奪われる。

せめて、毛玉だけでも。
遠退く意識の中、魔物のものとは明らかに違う足音を聞きながら、毛玉を隠すように抱き締めた。



「ぴ…ぴー!ぴー!」

…目覚まし時計?

時計を置いている場所に伸ばそうとした肩が痛んで、目を開けた。
頬に、ふわふわでもこもこな感触。

毛玉…じゃなくて、ペット用に小型化されたブルーペンギンだ。

「ぴー!」

現状を把握しようと努めかけたとき、青ペンが視界から消えた。

「!い、痛った…!」

肩に衝撃と痛み、青ペンがダイブしたのは、ちょうど負傷した場所。
痛みが通り過ぎるのを待つうちに、肩に乗った重みがふいに消えた。

「気が付いたか」

ボーイソプラノの声に顔を上げると、大きな剣を背負った強そうな隻眼のおじさんが、
片手に青ペンを乗せて立っていた。
たった今聞いた声の主を捜す前に、同じ声が降ってくる。

「なぜここに来た。この辺りの魔物は硬い、素手で戦うには無謀すぎる」

この人の声?腹話術?裏声?もしかして、青ペンに声当ててるとか?

「…頭でも打ったか?」
「…え、あ、いえ…ええと、おれ」
「どこを目指していた?」
「えと、谷の奥に見えた小屋に」
「目的は」
「い、行ってみたかっただけ…です…」

おじさんは大きな溜め息をついて、手の中で暴れ始めた青ペンを、おれが寝ているベッドに置いた。
白いシーツに足を取られながらも、青ペンはぴょこぴょこ近付いてきて、おれの膝の上に乗った。
人懐っこいみたいだけど、誰かに飼われてるのかな。このおじさんのペンギン?

「剣は使えるのか?」
「へ?あ、はい、少しは」
「なぜ使わない?」
「身軽なほうが楽だから、つい…」

また大きな溜め息。
後先考えずに素手で突っ込んで負けたんだから、あきれられるのも当然だけど。

「…学ぶ気はあるか?」
「…はい?」
「この先、身一つでは倒せない魔物と対峙することもあるだろう。
 何かを庇わざるをえない時、素手では危険すぎる」

鈍い痛みを訴える肩に少し触れて、目を閉じた。

重みと斬る感触が苦手で、持つことをやめてしまった剣。
ふわふわな感触に目を開けると、青ペンがおれの腕にくっついて、不思議そうに見上げていた。

この人が助けてくれなかったら、おれは島のシステムの恩恵で安全な場所に戻っただろうけど、
はたして青ペンが一緒に転送されたかは微妙だ。
もし、青ペンだけがあの場所に取り残されていたとしたら。

「学ぶ気があるなら、指南しよう。俺はその為にここに居る」
「…はい。お願いします」


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