◆狸牛小説1-5◆

相手の心情が分かる薬とか魔法とか、あったら便利だろうとは思ってた。
だけど、相手の気持ちが分からないからこそ、面白いとも思うんだ。

…正確には、そう思ってた。はい過去形出たー。

ファーを部屋に連れ込んだ前回の話から、5日経過。関係は相変わらず。
あまり問い詰めても可哀相だと思って、ここしばらくは大人しく静観中。

本当は近付きたいしあんな事やそんな事、えっこんな事まで!?ってな事までしたい。
したいが、気合いと理性と少ない忍耐力をフル動員で、なんとか抑えてますよ。

どうすりゃいいんですか、神様。
ちなみにオレは無神論者、神がいるとすれば、それは個々の中にいるっていう人間ですが、何か。



外は先刻からどしゃ降り、カンを信じて外出せんでよかった。
ホントはうだうだ悩んでたら、雨が降るまで出損なったってだけだけど。

朝は晴れてたはずだから、こりゃ何人かは酷い目に遭ってるかな。

コンコン、とドアをノックする音。
この控えめな音だと、羊のふわふわ少女かな。

「はいはい、開いてますよ。どうぞー」
「あ、あの、先生」

見事正解、フリルのロングスカートに桃色の髪を三つ編みにした少女、イプ。
雨の被害に遭ったのか、髪と肩が濡れている。雨から必死で庇ったのか、本を抱きしめる手が白い。

「どうしたんだ、風邪引くぞ?着替えて、髪乾かさないと」
「先生、私…」

大きな青い目から、ぼろりと涙が零れた。
感情の揺れるままに泣いてしまう子だから、珍しいものじゃないが―嫌な予感がする。

タオルを肩にかけてやりながら、出来るだけ優しい声を絞り出した。

「どうした、何かあったのか?」
「道に迷って、変な所に迷い込んで…魔物が沢山いて、強くて…」
「怪我は?」

ふるふると頭を横に振った。本を抱きしめる手が、血の気を失っている。
―嫌な予感がする。奴は、そういう奴だから。

イプの白い唇は、予想通りの名を紡いだ。

「ファルさんが」

…やっぱり、か。

「ファルさんが、来てくれたんです…でも、数が多くて、逃げきれなくて…先に帰れって、携帯をくれて…」
「大雑把でいいから、地図書いてくれるかな?行ってみるよ」

「私も」

「イプは留守番。シャワー浴びて、着替えて、タオル用意して待っててくれないか?
 ファル君は大丈夫、先生に任せておきなさい」

「でも…私」

「こう見えて先生、足速いんだぞ?キミを置いてはいけないし、そしたら助けにいくのが遅れるだろ?
 な、先生を信じて。女の子は体冷やしちゃよくないし。…待てるな?」

かすかに迷いを瞳に浮かべながら、それでもイプは、こくりと頷いた。

「よし、いい子だ。見つけ次第、携帯で飛んでくるから。この雨じゃ悲惨な事になってるだろうから、
 タオルよろしくな。あと、できれば温かいコーヒーの用意も頼むよ」

自分のポーカーフェイスに、すらすらと上手い言葉を紡いでくれる口に、かつてないほど感謝した。



よほどの事故でも起きない限り、この島では多分、人は死なない。

島に着いた時に支給された、呪の施された結晶石が発動して、イザという時は安全な町まで
自動的に飛ばしてくれるようになっている。

でも怪我はする。当然痛みもある。ゲームのような世界で、だけどこの島は現実だ。
魔法で怪我は治せても、流れた血は、すぐには戻らない。痛みの記憶も消えない。

…ファー。

イプに描いてもらった大雑把な地図と、聞いておいた景色の簡単な特徴を元に、人影を捜す。
無数に涌いている魔物の攻撃は、魔力で形成した盾たちが塞いでくれる。
細い道に立ち塞がる最低限の相手だけを打ち倒して、ぬかるむ地面を走り回った。

激しい雨は霧のように視界を遮っている、くそ。
自分の足音すら、ロクに聞こえない。これじゃ、叫んでも聞こえないだろう。

…神様。

オレはあんたの存在すら疑ってるけど、頼むから、ファーを守ってやってくれ。
ついでだから、ファーの気持ちをオレに思いっきり傾けさせといてくれ。

―神頼みなんて、らしくないか。

神がいようがいまいが、願いを叶えようが叶えまいが、オレはファーを見つける。絶対に。
や、でもホント頼みますよ神様。マジでここの敵強いんですってば。



小さな洞穴の端に、見慣れた水色が見えた気がした。
―ぺそ?

魔物に追われていないのを確認して、洞穴に近付く。微かに鉄のような香。血、か?

「せん、せい?」

岩壁に背を預けて、ファーは立っていた。
普段は健康的な色を浮かべている顔や唇が、別人のように真っ白だった。
だらりと下ろした右手の指先から、雨と血の混ざった雫がぽたぽたと落ちている。

濃くはない、雨が量を多く見せてるだけだ、大丈夫。
自分にそう言い聞かせて、跳ね上がった心臓を無視した。

「先生…何でここに」
「バカ、迎えに来たんだよ」

ずるずると壁に沿うように座ったファーの横で、ぺそが心配そうに小さく鳴いた。
右腕、止血代わりに簡単に巻かれた布は、赤く染まっている。

「怪我は?腕だけか?」
「左足…折れてはいないけど、痛めたみたい。テーピングする時間もなくて」

「とりあえず帰るぞ。イプがホテルで待機してくれてるから」
「イプは大丈夫だった?」

「ああ。余分に携帯、持ってなかったのか?」
「…今度から気をつけます…」

「そうしてください。ほれ、携帯。襲われないうちに帰ろう」
「あ、うん。ありがとう」

ファーが飛んだのを見届けてから、オレも飛んだ。一瞬で目の前の景色が変わる。



見慣れたホテルの前に着いて、ようやくオレは息をついた。

こんなに走ったのも、こんなに神経を張り詰めたのも、随分と久々だった。
今まで気付きもしなかったけれど、容赦なく降り続ける雨のお陰で、随分体が冷えてる。

「さーて、部屋まで歩かなきゃいけないワケだが」
「肩貸してくれる?」

「却下。はい、ぺそ持って。左腕、首に回して」
「へ?ちょ、自分で歩くって!」

「いいから大人しくしてなさい、いくら魔法でアッサリ治せても、痛いモノは痛いんだから」

よいせ、とファーを横抱きにすると、ファーは非っ常ーに不服そうに眉を寄せた。
視界が高いのが面白いのか、ぺそだけが、ファーの腹の上できょろきょろと周囲を見回している。

「こういう時は小柄だと便利だな。オレは怪我しないようにしないと」
「先生は背高くていいな…何食べて育った?」

「女」
「シャレになってません先生…」

雨は弱まる気配もない。

ファーと密着している部分だけが、ぬくぬくと心地良い温度を保っている。
抱き上げたこの体が冷たくなった様が、ちらりと頭を過ぎって―慌てて軽く頭を振った。

この島にいる間も、その後も、ファーがどこにいても、危ない時は迎えに行く―たったそれだけでいい。
簡単な事だ。

「…ファー、あんまり心配させるなよ」
「…ん…ごめん…」



ロビーで待っていたイプにファー共々泣き付かれて、それぞれの部屋に戻って、人心地ついて。
身づくろいもそこそこに、オレはファーの部屋を訪ねた。

ドアをノックすると、開いてまーす、と妙に間延びした声が返ってきた。

「寝てたか?」
「ううん、大丈夫。ぺそが寝ちゃって、釣られてうとうとしてただけだから」

ベッドの上で眠そうに目を擦って、ファーが笑った。
怪我はイプの魔法で治してもらって、痕も残っていない。

どれくらい出血したのかは分からないが、白かった顔も唇も、普段と変わらない色を取り戻している。
…よかった。

「寝るか?様子見に来ただけだから、寝る気なら撤収しますが」
「いて欲しい…って言ったら、先生困る?」

甘えるような目でそんな事言われたら、別の意味で困りますよ。

「また襲いかかるかもしれないぞ?いいのか?」

ベッドに座って頭を撫でてやると、はにかむように笑った。
男にこんな単語を使うなんて、少しばかり妙な気分だが…可愛い。

「…先生が来てくれて、凄く安心したんだ」

怪我も治って顔色も戻っても、疲労は残ってるんだろう。ベッドに沈んだまま、ファーが呟いた。

「どうしようもなくて…ぺそだけでも、イプに連れて行ってもらえばよかったって、
 ずっとそんな事ばかり考えてた」

「ぺそが離れたがらないんじゃないか?」
「死なせるくらいなら、無理にでも離すよ。…本当にありがとう、先生」

「どういたしまして。そうだな、お礼はキス一回でいいよ。いい?」

了承がもらえるはずはないから、今回は本当に冗談で笑ってみせた。
弱ってる姿も可愛いが、さすがに今日は手を出す気にはなれない。

だけど。

「…うん」
「…へ?」

聞き違い…じゃない、のか?

「来てくれたらいいなって、思ってたんだ。先生、雨の日は外に出ないくらい雨嫌いだし、
 そんなハズないって思いながら。…ホントに来るんだもん。泣くかと思った…」

薄く頬を染めて、ファーがオレを見た。

「ホントに嬉しかったんだ。…おれ、先生のこと…好きなのかもしれない」

正直な話、めちゃくちゃ嬉しい。嬉しいけど。

「心細くなってたところに現れたから、好きだって勘違いしたのかもしれないぞ?」
「うん、そうかも」

「コラ。そこは『そんなことない、心から愛してる』って答えるのが義務だろ」
「だって、ホントに自信ないし」

そう言って、ファーが笑った。
笑顔にも、あまり力がない。さっさと引き上げて、少し眠らせた方が、いいかもしれない。

離れ難いけれど。

「自信ない、か。とりあえず、一緒に歩いてみるか?」
「…うん。よろしくお願いします」

額に零れる前髪を撫で上げて、顔を近づける。ファーが軽く目を閉じた。
触れる寸前に、オレも目を閉じた。柔らかい感触。すぐに離れた。

かすかに上気した顔で、恥ずかしそうにファーが微笑んで、どくん、と心臓が鳴った。
初恋の中学生でもあるまいに―自分でもおかしいくらいに、心が揺さぶられる。


だが―不思議と、心地良い。


ファーに関心を抱いてから、ひと月。
ようやくオレたちは、歩き始めた。


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連載終了〜。
タヌヌ視点は非っっ常〜に描き易かったです。

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