◆龍牛/ピアス

伸びるまま伸ばした髪が、強風に舞う。
束ねられるような紐でも持って出ればよかったと、リュウは溜め息を吐いた。

風上の小高い丘を見上げて、再び溜め息を吐く。
彼の目的地は、まさしくその丘の向こう…つまり、今以上の強風が渦巻いているであろう場所だ。

―帰るか。

装備を整えて出直す、という言葉は無いらしい。
温かい紅茶、それと最近気に入っているサンドイッチを思い浮かべて、リュウはすっかり帰る気になっていた。

踵を返そうとした途端、それは目の端に飛び込んだ。

水色の丸っこい物体が、「びっ!?」とか「ぎゅ!」とかいう妙な鳴き声とともに、なだらかな丘を転がり落ちてくる。
丸っこい物体は、やがてリュウの脚にぺたりと張り付いて止まった。

「………ブルーペンギン」

ボソッと呟いて、リュウは足に張り付いたペンギンを見下ろす。
ペット用に小型改良されたと思われるソレは、短い手だか羽だかに何かを挟んでいた。

「ぴ…」

リュウがしゃがむと、ペンギンはようやくその存在に気付いたかのように、動きを止めた。
ペンギンは手だか羽だかの間に挟んだ物を見て、もう一度リュウを見上げ…手の中の何かを差し出した。

つぶらな黒い瞳に見つめられて、リュウはまたしても溜め息を吐いた。

「…びっ!?」

ペンギンの丸い体をがっしと掴んで、リュウは来た道を戻るべく、踵を返した。
島の所有者に貸し与えられたホテル、同じフロアに何人か動物好きがいたはずだ。

自分で飼おうとか、手の中の何かを見てみようとか、そんな考えはリュウの中には無かった。
だが、手の中のペンギンはじたばた暴れて、ぴーぴー鳴き始める。

どこかに放り投げて、見なかったことにするか。
真剣にリュウがそう考え始めたとき、ペンギンの手から何かが落ちた。

ペンギンは、地面に落ちたソレに向かって、じたばたと手を振っている。
仕方なく、リュウはソレを拾い上げた。

シンプルな、燻し銀のピアス。
大きな角とバンダナから覗く赤毛の下で、これはいつも鈍い光を反射している。

「…ファルの…」

名前に反応したかのように、手の中のペンギンが小さく鳴いた。

「…お前…ファルのペンギンか?ファルはどうした?」

ペンギンは何かを訴えるように、ぴーぴー鳴いている。
しばらく黙って聞いてたリュウが、飽きずに溜め息を吐いた。

「…人語を話せ、ペンギン」
「ぴ…ぴー!」

「ぴーじゃ分からない、ファルがどこで何をしているのかを言え」
「ぴー!!」

無茶を言いながらぶんぶんとペンギンを縦に振るリュウが、ふと動きを止めた。
ぼとりとペンギンを地面に落として、手の中のピアスを眺めて、ペンギンを見下ろす。

「…案内しろ」
「…ぴ?」

「ぴ、じゃない。ファルのところに案内しろ」
「ぴ」

リュウの言葉を理解したのか、丸っこい体がぴょこぴょこと丘を登っていく。
それを追いながら、リュウはもう一度ピアスに目を落とした。

イヤリングと比べ、ピアスは格段に落とし難い。
それを落とすような事態に巻き込まれたとしたら―。

巻き込まれたとは限らないとか、外して持っていた物を落としたとか、そういう考えは浮かばないらしい。

丘の頂上に着く頃、ピアスを見つめるリュウの視界の端に、
風に吹き飛ばされ、妙な鳴き声を発しながら丘を転がり落ちるペンギンが映った。



すぐに強風に転がりそうになるペンギンを掴んで、リュウはペンギンの指す方角に従って歩いた。

強風に負けずに丘を越え森に入り、すでに数時間。
高い位置にあった太陽は、すでに傾きかけている。

「ぴ!」
「…そっちはたった今歩いてきた方向だ」

「…ぴ!」
「……貴様がファルのペンギンでなければ、地面に叩きつけているところだ。
 それを胸に深く刻んで、正確な方角を示せ」

「ぴ……ぴー…」

こうしている間にも、ファルは危険な目に遭っているかもしれない。
魔物に襲われて怪我をしたか、よからぬ連中に絡まれて困っているか、あるいは―。

嫌な想像ばかりが脳内を駆け巡り、不安と焦燥は募っていく。
が、唯一の頼みである手の中のペンギンは、全く頼りになりそうにない。

ふいにがさがさと茂みを掻き分けるような音がして、茶色の毛とタヌキ耳が覗いた。

「やーっと道に出た…って、リュウ?お前さんが外に出るなんて、珍し」
「…マジックアロー」

叫び声が森に響き渡り、鳥達がバサバサと飛び去った。

地面にひれ伏した魔法の的は、それでも致命傷には至らなかったらしい。
絞り出すような声と恨みがましい視線で、それはリュウを非難した。

「…ちょっとリュウさん…今、思いっきりオレの姿を確認してから攻撃しませんでしたか…」
「知らん。それより、ファルを捜している。知っていたらそれはそれで腹が立つが、知らないか?」

「ファル?今朝別れた後は、見てないが。通信は?着信拒否でもされてるのか?」
「…マジックアロー」

再び響くラクの叫び声をBGMに、リュウは腕の結晶―島に着いた時に強制的に取り付けられた―に触れた。

持ち主の体調を読み取り、危険な時には強制的に安全な場所に転送するそれは、
距離の離れた他人との通話や文章送信等、色々な機能を兼ね備えている。

相手を指定して、通信を試みた。

…出ない。

「何だ、出ないのか?お前さん、ついに愛想尽かされたんじゃ」
「マジックアロー」

通話すらできないような状況にあるんだろうか。
何らかの危害を受けて気を失っているとか、よからぬ連中に両手を拘束されているとか―。

「か、回復…」とか言っているタヌキにポーションを投げつけて、リュウは眉を寄せた。
一刻も早く捜し出して、安全を確保し、安心させてやらなければ。その為には…。

「…びっ!?」
「ペンギン…ファルの居場所まで、速やかかつ正確に案内しろ。さもなくば、すり潰すぞ」

違う意味で真っ青なブルーペンギンを握りつぶさんばかりの勢いで掴んで、リュウは低い声を出した。

「リュウさーん、ぺそ怯え…お?」

通信でも入ったのか、ラクが自分の結晶に目を向けた。

「はいはい、ラク先生でーす。どうした、リュウとぺそが捜してるぞ?」

ぴくり、とリュウとペンギンが反応する。

「ああ、今ここに居るけど…あ?リュウの通信が着信拒否になってる?」

ラクの声に、リュウが己の結晶の設定を呼び出した。着信拒否の項目にチェックが入っている。

そうして、リュウはようやく思い出した。たまには外出しないと不健康だとか、協調性を持てだとか言ってくる
タヌキや獅子の通信が鬱陶しくて、全通信を拒否設定にしていたことを。

「ファルくーん、こっち来られる?ストレス大爆発のリュウさんが、ぺそ虐―」
「マジックアロー。マジックアロー。マジックアロー」

着信拒否のチェックを外して、ファルへと通信を試みる。
すぐに反応は返ってきた。

「リュウ?今、先生の通信から悲鳴が聞こえたんだけど…」
「問題ない。今どこだ?」

「あ、そっちに向かってる。ぺそ拾ってくれたんだよね、ありがとう。
目を離した隙に、風で転がってっちゃって、ずっと捜して…あ、見えたー」

前方と後方の道を見渡すが、見慣れた赤い服は見えない。
がさっという葉擦れの音と共に、道の無い方向からファルが顔を覗かせた。

「…森の中でペンギンを見失ったのか…?」
「んあ?や、捜し回ってるうちに、いつの間にか道無くなってて」

飼い主の元へ行こうとしているのか、リュウの手の中でペンギンがもがき始めた。

少し考えて、ペンギンを見下ろして、ファルを見て、ついでにラクを見る。
リュウの視線を追ってラクを見たファルが、首を傾げた。

「先生、その怪我…」
「ああ、そこの暴力の嵐吹き荒れるリュウに―」
「ラク、ポーションでも飲んでおけ。それから、ペンギンも預かってろ」

手持ちのポーションをラクの顔に投げつけて、ファルのペンギンも押し付けた。

帰って紅茶とサンドイッチを楽しむ予定が、ペンギンのせいで、一日中歩き回る羽目になった。
だからといってペンギンに怒りをぶつければ、ファルは悲しむ…というか、怒るだろう。

「…ファル、付き合え」
「へ?どこに…森?ココ、敵も人もいなかったけど」

「だから、だ」

ファルの手を掴んで森に入り、道が見えなくなったのを確認して、リュウは薄く笑った。
ポケットに放り込んだシルバーピアスを取り出して、ファルに手渡す。

「あ、え、コレおれの?落としてた?」
「ペンギンが持っていた…左耳、切れている」

乾いた血が薄く残る耳を、リュウは舌を出してそっと舐める。
ファルの体が、びくりと震えた。

「ど、どこかで引っ掛けたのかな、気付かなかっ…う、わ」

柔らかな草に覆われた地面に押し倒して、リュウは再びファルの耳に口を近付けた。
服を押さえているベルトを外して、手を差し込んで肌を撫でる。温かい。

「うあ、冷た…ちょっ、リュウ、ここ外っ…!」
「誰も来ない。来たとしても、見ないフリをするだろう」

「そういう問題じゃ…痛っ」

乾いた血と傷口を舐めるうちに、血がじわりと染み出した。
それさえも舐め取って、唇を重ねる。血の味がした所為か、ファルは微かに眉を寄せた。

「後で治療する…お前が落としたピアスとペンギンで、一日中歩き回る羽目になった」
「それは…悪かったと思う、けど」

「代金は、お前自身でいい」
「…外はやだ。ホテル戻っ…!」

びくりと震えて言葉を飲み込むファルに、リュウはにこやかな笑みを浮かべた。
耳元に口を近づけて、トドメを。

「反論する暇もないくらい、可愛がってやる…」



-おまけ-

風に乗って時々聞こえてくるのは、甘ったるい鳴き声。
そのたびにぴくん、と反応するブルーペンギン…ぺそを抱いて、ラクは溜め息を吐いた。

「人が通らないからいいものの…ぺそ、お前のご主人、ロクでもないのに気に入られたな…」
「…ぴー…」

「…ていうかさぁ。リュウが満足するまで、オレはここで待ってなきゃいけないワケ?」
「ぴ」

夕飯までに帰れるといいなぁと、茜色の空を見上げて、ラクは盛大な溜め息を吐いたとさ。


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長くなってしまいました、すみません(´A`;
ウチの龍牛はどうにも龍さんが生温いですねorz