◆狸牛←龍/ドア

夕刻のホテル、フロアごとに設置されていると思われるロビーには、フロアの住人が全員集まっていた。
食堂で夕食を取った後、そのままの流れでここに集まっているのだろう。

いつもの島を探索するときの服装ではなく、それぞれくつろげるような服を身に纏っているが、
見事なくらいに印象が変わっていない。

ラヴィと共に走り回っていたライオが、俺の目の前で足を止めた。

「お、リュウじゃん。珍しいなー、部屋から出るの」

自室に居る時間が多いのは確かだが、そこまで言われるいわれはない。
どういう認識をしているのか、頭をかち割って調べてやろうか。

一瞥すると、ライオは首を竦めて、再びラヴィと埃を立てに戻った。

騒音の元は主にライオとラヴィらしいが、面倒で止める気にもならない。
他の人間…イプとフォウ、それからキャーは、固まって何やら話をしている。

元より長居する気もない、用件を済ませて、さっさと部屋に戻ることにしよう。

ぐるりとロビーを見渡して、目の端に目的の人物を見つけた。
絨毯の敷かれた床に座って、ペットと戯れている。

「…ファル」
「んあ?あ、バスケット届けに来てくれたの?廊下に出しておいてくれれば、回収してくのに」

紅い瞳がこちらを向いて、笑う。
いつからから、この笑顔に、ひどく気が安らぐようになった。

他人との食事が煩わしい時は、人の集まる食堂に出る気にならず、食事を抜いたりもする。
それを知ってか知らずか、彼は差し入れをバスケットに詰めて、俺の部屋に届けに来るようになった。

食堂に行かない理由を詮索しようともせず、礼を言えば、嬉しそうに笑う。
基本的に人嫌いだという自覚すらある自分が、珍しいことに、彼のことは気に入っているらしい。

「ぺそ、るーぺ、ちょっとおいでー」

ファルは自分の横で飾り紐にじゃれついていた青ペンギン二匹を、紐ごと持ち上げて膝の上に置いた。
俺が座る為の場所を作ってくれたらしい。

すぐに戻るつもりでいたから、どうしようかと―俺らしくもないことに―悩んだ。
だが結局、あの柔らかい笑みを向けられて、仕方なくそこに座った。

少し付き合って、すぐに戻ればいいだけのことだ。

ふいに思い出したように顔を上げて、ファルが首を傾げた。

「リュウ、アオ元気?」
「…ああ」

以前、ラヴィが数匹の青ペンギンを拾ってきたことがあった。

捨てるのも売るのも嫌だとラヴィやイプが騒いで、結局飼えそうな人間が飼う事になって…
半ば押し付けられるようにして、俺も青ペンギンの一匹を飼い始めた。

ファルの膝の上の片方…"るーぺ"とやらも、その時に誰かが飼い始めたものだろう。

「…手は、切っていないか?」
「へ?ああ、差し入れ作る時?そんなにしょっちゅう切ってないよ、大丈夫」

恥ずかしそうに笑って、クセなのか、前髪に少し触れた。
紅い髪は思っていたよりも柔らかそうで、思わず触れてみたくなる。

触れてもいいだろうかと、聞いてみようか。
迷ううちに、声が降ってきた。

「ファー、お待たせー…っと、珍しいヤツがいるなー」

ライオといいラクといい、人の顔を見るなり…他に言うことはないのか。
軽く睨むと、ラクは苦笑して両手を軽く挙げた。

「せんせ、用事は終わり?」
「ああ。悪いな、るーぺ任せちゃって」
「んーん、いい子にしてたよ。るーぺは大人しいねー」

ほとんど…というより、俺には全く見分けのつかない青ペンギンの片方を、ファルは撫でた。

必死で紐と格闘していたもう一匹が、ふと動きを止めた。
もう一匹を撫でる手とファルの顔を交互に見て、急に紐を手放し、ファルの腹にぺとりと抱きついた。

「あらら…ファー、るーぺ引き取るよ。ありがとな」

"るーぺ"を抱き上げて、ラクの手がくしゃくしゃとファルの頭を撫でた。

とたんに妙な感覚が生じて、戸惑う。
小さく呼吸をして、気持ちを落ち着けようと試みた。

「ファー、後でオレの部屋に来てくれるか?」
「へ?いいけど…何?」

「今日覗いた店で、シルバーアクセ見つけてさ。似合いそうだったから、先生買ってきちゃった」
「あー。先生、なんでも似合いそうだもんなー」

「違う違う、お前にだよ。好きだって言ってただろ、シルバーアクセ」
「おれに?本当に?うあー…どんな反応すればいいのか、困る…」

薄く朱の差した頬を押さえて、ファルがはにかんだ。
理由は分からない。分からないが、イライラする。

「リュウ?」

紅い瞳が、心配そうに俺を見ている。
その向こうで、ラクの手が再びファルの髪に触れた。

―イライラする。

無言で立ち上がって背を向けると、戸惑うような声が、俺の名前をもう一度呼んだ。
俺は…振り返らなかった。




『好きだって言ってただろ、シルバーアクセ』

好きなものなんて、知らない。嫌いなものも。
傷を治す為以外には、触れたこともない。

『うあー…どんな反応すればいいのか、困る…』

あんな表情を、するなんて。

膝の上に開いた魔道書は、一文たりとして、頭に入りそうになかった。

ドアをノックする音。

「リュウ、居る?」

気遣うようなファルの声。何も言わずに戻ってしまったから、気にしていたんだろう。

「…開いている、勝手に入れ」
「うん…お邪魔します」

部屋に入ったファルの、ハイネックの胸元。
先刻はなかった、クロス・モチーフのペンダントが揺れていた。

「…ラクが言っていたのは、それか」
「ん?あ、うん。シルバー、手入れはちょっと面倒だけど、好きで…じゃなくて」

紅い瞳が、真っ直ぐに俺を映した。
先刻の態度について、追求されるんだろうか。

ファルの口が、ゆっくりと開く。

「さっき、言い忘れたから…バスケット、届けてくれてありがとう」

ふわりと羽根が舞うような、柔らかい笑み。
心地良いほどに、急速に心が平穏を取り戻していく。

彼は、俺が聞かれたくないと思うことを、綺麗に避けているかのように訊かない。
こうしてほしい、こうあってほしいと、自分の理想や望みを押し付けることもない。
俺の少ない言葉から、真意を読み取ろうとしてくれる。

傍に居ると、信じられないくらいに安心する。
だから、傍に居てほしいと思った。

「リュウ?」

ラクの贈ったペンダントが揺れる。
彼の隣には、すでに別の人間が立っている。

「…今日中に読んでしまいたい、魔道書があるんだが」
「あ…、…うん、ごめん」

一瞬だけ何かを言いたげな顔をして、けれど次の瞬間には、それを綺麗に隠して、ファルが笑った。

「無理はしないようにね?それじゃ、お邪魔しましたー」

小さな音を立てて、扉が閉まった。

彼は、無理に聞き出そうとはしない。
だから俺は、この感情を呑み込み続ける。


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切なひ片思ひ…(*´_ゝ`)
ウチのサイトの性格設定だと、龍さん妙なところで弱いですね!orz