◆狸牛/特効薬

リュウの魔法を食らって、その魔物はようやく攻撃を止めた。

腹の底に響くような声が、急速に干乾びていく体から発せられて、鼓膜を震わせる。
暗い石造りの空間に、声は低く響いた。

「次に会うた時は、必ずや貴様らを葬ってくれよう…」

時が経てば、自然と再生する、特殊な魔物。
オレたちの前にも、おそらく幾度となく倒されてきただろう。

魔力で形成した盾を解いて、オレは魔物の死骸から視線を外した。

その先に、ファルが立っていた。
紅い瞳は、真っ直ぐに魔物の骸を射ている。
何だか居た堪れなくて、オレはファルからも視線を外した。

女性陣は、一塊になって互いの無事を確かめ合っている。
激戦だったんだから、無理もない。誰ひとり町に強制送還されずに済んだのが、不思議なくらいだ。

暗い部屋を後にする。
背後を振り返る気には、なれなかった。



ホテルに戻ってからも、妙に気分が晴れない。
自室のソファに座って、タバコに火をつける。

魔物なんて、この島に来てからは、毎日のように倒してる。
初めて仕留めた時だって、こんな風にはならなかった。
今更、こんな気分を覚えるなんて。

魔物が言葉らしい言葉を話したからか、何度死んでも再生する存在に、同情を覚えたのか。
理由さえ分からないなんて、気分が悪い。

…ダメだ、一人で居ると余計沈み込む。

だからって、誰かと会う気にはなれない。

外は陽が落ちかけて、空は茜色から紫紺に変わろうとしている。
屋上でのんびり空でも眺めてりゃ、少しは気も晴れるか。

タバコとマッチを片手に、ジャケットを掴んで、オレは自室を後にした。
廊下は奇妙なくらいに静寂が溢れている。
普段なら誰かの部屋に集まって談笑してる時間だけど、さすがに今日は、皆疲れて休んでるんだろう。



屋上のドアを開けると、涼しい風が肌を撫でた。肺に入る、室内とは違う空気が心地いい。
ジャケットとタバコを床に放り投げて、手すりに体重を預けて、目の前に広がる紫紺に目をやった。

美しい景色。微かに潮の香のする風。
穏やかな風景だけれど、心のざわめきは静まろうとしない。

「…せんせ?」

聞き慣れた声が聞こえて、初めて存在に気が付くなんて。
一呼吸置いてから振り返って、笑顔を張り付けた。

「どした、ファー?先生に会いたくなっちゃったのかな?」

ファルは何も言わずに、少し困ったような顔をした。
そのまま何も言わずにその場に座り、後ろに倒れて、大の字になって目を閉じた。

バンダナを外した髪が、淡い風にかすかに揺れている。
背中の古傷ほどじゃないが、頑なに隠していた真っ赤な髪。
いつの間にオレたちの前に普通に晒すようになったんだったか、もう覚えてはいない。

「ファー、疲れた?」
「…うん」

隣に座るが、ファルは起きようとはせずに、また目を閉じた。
今は真っ直ぐな目が痛かったから、小さく息を吐いた。

閉じた瞼にキスを落として、ノースリーブの裾から手を差し込み、腰を撫でる。
その手を掴まれて、オレはファルと目を合わせた。

「先生」
「誰も来ないよ」
「先生、本気じゃない」
「…どういう意味かな」

重ねようとした唇まで、手のひらでやんわりと拒否される。
両手を床に押さえつけて、体格で体も押さえ込んで、無理矢理キスをした。

「…やっぱり…違う。先生、何かあった?」

怒っているような、哀れむような瞳。頭に来る。

「お前は」

傷つけると分かっているのに、声が止まらない。

「魔物を殺す事に、抵抗はないのか?」

ファルは外界―島外の世界で、ハンターの一員として、人々を守る為に魔物を倒していたという。
この島では、管理された魔物を、人々は半ば娯楽で狩る。
意味を持って魔物の命を絶ってきた人間が、この島のシステムにいい感情を抱くはずがない。

…きっと、困ったような…泣きそうな顔をする。

一呼吸置いて、ファルは少しだけ首を傾げて、やっぱり困ったような―だけど、強い瞳をオレに向けた。

「抵抗はあるけれど…生きてるから」

片手を、床に押さえつけるオレの手から抜け出させて、ファルはそっとオレの髪を撫でた。
ファルの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。

「ファー、オレは」

はっきりとした意味は、見えてこない。
ただ、言葉が頭の中に響き続けている。

オレは、全部受け止めて、それでも笑えるほど…強くはなれない。
格好つけて、何でも平気なフリして笑って見せるのは、弱さを知られたくないから。
手を汚すのも、半端な良心に苛まれるのも、本心を見せて失望されるのも、怖い。
だから、最後まで言葉を紡ぐ事さえ出来ない。

「先生」
「…オレは…」
「あ、分かった。先生、オナカ空いてるんだろー」
「…はい?」

納得したように、ファルはうんうん、と短くうなづいた。

「空腹だと、元気なくなるもんなー。すぐゴハンだと思うけど、何か簡単な物作ろうか?」

これは気を遣ってくれているのか、単なるボケなのか。
オレに押し倒された体勢のまま、タマゴサンドとハムサンドどっちがいい?なんて聞いてくる。

「そだ、イプと作ったクッキーが残ってたかも。せんせ、おれの部屋来る?紅茶くらい淹れるよー」
「えぇ?紅茶?コーヒーのが好きなんだけど」
「うん、知ってる。でも、おれコーヒー淹れるの下手だし。先生が教えてくれるんなら、淹れるけど」
「仕方ないなぁ、先生が手取り足取り腰取り指南してやるよ」

またそういう事言うんだから…と苦笑して、ファルはまたオレの髪を撫でた。

「先生が笑っていてくれるから、いつでもおれたちは安心できるんだよ」
「全部、強がりだったとしても?」
「うん。先生がへらへらしてると、なんていうか…ホントに大丈夫な気するし」
「へらへらって、お前なぁ…」

掴んだ手首を放して、立ち上がって手を差し出す。
素直にオレの手に乗せられた手が嬉しくて、引き上げた腕ごと抱きすくめた。
少しだけ抵抗しながら、それでもファルは大人しくオレの腕に収まって、腕が背中に回る。

「先生はそうやって、いつもへらへらしててね」

にこにこっていう表現を知らないのか。苦笑して問い質す前に、ファルが続ける。

「代わりに、いつでも甘えさせてあげるから」

紅い瞳は、いつもの穏やかな光を湛えて。

それはまるで、特効薬。
この瞳には、きっと一生敵わない。


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[記憶]でちらっと出たツタン討伐話を形にしてみました。
辻褄合ってないところとか探さないでくださいね、絶対あるから…(´A`;