◆狸牛/夏風邪

「暑い、気持ち悪い、もうヤダ。あの葉っぱが散る頃には、オレも散るんだ」
「アレが散るのに、あと何ヶ月かかると思ってるんですか、先生」

空調完備のホテルの中は涼しいけれど、季節は夏。窓の外では、木々が青々と生い茂ってる。
めそめそとベッドで泣き言を漏らす先生に、おれはもう苦笑する他にない。

最初にイプが引いた風邪。
彼女の世話をしていたフォウ先生が真っ先に風邪を貰って、その看病をしていたキャーも感染。
キャーのお見舞いに行ったライオが沈んで、ライオの看病をしていたおれまでダウンして、おれからリュウへ。
皆の部屋をお見舞いと称して元気に走り回ってたラヴィも、リュウが良くなった頃に風邪菌に敗北して。

このフロアの住人が順番に引いていった風邪が、それでもようやく終息を迎えたかな、って頃。
苦笑しながらも皆の看病やら医者の手配やらをしていた先生が、昨日ついに寝込んで…今に至る。

病み上がりのキャーとライオとリュウは、大事をとって部屋で休んでる。
イプとフォウ先生は、熱の所為でいつも以上にハイテンションなラヴィの相手で手一杯。
だから、先生の看病は自然とおれに回ってきた。

「ハラ減ったけど気持ち悪い、もうヤダ。あの葉っぱが枯れる頃には、オレも枯れるんだ」

いい大人だし、一番手がかからないだろうという周囲の予想に反して、先生はこのとおり。
ただ単に甘えてるのか、熱でワケ分からなくなってるのか、区別はつかないけど…ちょっとうるさい。

「ダルいよー。関節痛いよー。ハラ減ったよー」
「お粥、そこに置いてあるよ」
「起きたくない」
「………」

体温計は見事に37.5度のボーダーラインを突破してたし、本当に具合は悪いんだろうけど。

「なー、ファーぁ」

おれが寝込んだ時も、頼んでないけどキッチリ看病してくれたし…仕方ないか。

ベッドの傍に置かれた椅子に座って、サイドボードに置いたお粥の土鍋の蓋を開けた。
どこかの郷土料理で使う梅肉を刻んで炊き込んだ、気分が悪い時にも食べ易い、サッパリしたお粥。

少し前に持ってきたから、食べ易い程度に冷めてる。
レンゲに掬って口元に運ぶと、先生はふいと他所を向いた。

「先生、食べないとホントに散っちゃうよ?」
「口移しじゃなきゃ、食べたくない」
「アホなコト言ってないで、さっさと食べなさい。食べて薬飲んで寝てれば、枯れないで済むから」
「………」
「何、その不満そうな顔は」
「ケチ。ケーチー!あー、具合悪いー!ハラ減ったー!」

何なんだ、この手のかかる大人は。

「ハラ減ったーって言うんなら、食べればいいだろ。ほら」
「やだ」
「子供じゃないんだから…」
「やだ」

コロンと背中を向けて、先生は毛布を被った。
飄々とした普段の先生とは全然違って、ちょっと新鮮だけど。

「ほら、せんせ。食べないと良くならないよ?お粥も冷めちゃうし…折角作ったのに」
「…ファーが作った?」
「うん。サッパリした味付けにしたから、食べ易いと思うんだけど。ダメ?」
「…食べる」

もそもそと毛布から出した先生の顔が赤い。
口元にレンゲを運ぶと、素直にぱくりと口に入れた。

もぐもぐして、口を開けて、もぐもぐして、また口を開けて…ちょっと可愛い…かも。

「はい、これで終わりー」

お粥がたっぷり入っていた一人用の土鍋は、綺麗に空になった。
あとは薬飲んで沢山寝れば、元々体力はあるみたいだから、すぐ良くなるだろう。

薬の準備をしていたら、服の裾を引かれた。

「足りない」
「薬飲んだら、リンゴ剥いたげるから…はい、あーん」
「ソレ苦いからヤダ」

またふいっと顔を背けながらも、先生は様子を伺うようにチラリとおれを見た。

「苦いからヤダ」

ホントに子供みたいだ。でも、薬は飲ませないと。

「苦くないよ。それに、飲んだら楽になるよ?」
「………」

お医者の先生が渡してくれた処方箋から受け取った薬は、見事に漢方系のみ。
何をどうすればこうなるんですかってくらい苦いから、皆凄い顔で渋々飲んでた。

試しに舐めてみた先生も、凄い顔してた。それで懲りてるんだろうけど…飲ませなきゃ。

「ね、センセ。飲も?」

じっとおれの顔を見つめて、それから先生は体を起こした。
無言で差し出された手に、粉薬と水を渡す。
サラサラと薬を口に入れて、水を飲んで、すごくイヤそうな顔をした。

「偉い偉い、ちゃんと飲んだねー。はい、口直しー」

準備しておいたチョコを割って、恨みがましい目で睨んでる先生の口元に運ぶ。

ふいに、その手を先生の手がつかんだ。

「…先生?」
「他人事だと思って…お前も味わえ!」

病人とは思えない腕力で抱き寄せられて、持っていたチョコがベッドの上に転がる。

「―ん、ぅッ」

重なった唇の間から侵入したものが、冗談にならないくらい苦い。
おれも風邪引いてたんだから散々味わいました―なんて、口を塞がれてたら言えるハズもない。
うつる心配がないのが不幸中の幸いだなんて、現実逃避してみても…苦い!

「むッ、んうーッ!!」

バシバシ肩を叩いて、腕を張って逃れようとして、ようやく先生の腕が緩んだ。

「っは…、にがっ…!口曲がる!水ー!」
「ほら、ファー。口直し」

ベッドの上に転がっていたチョコを、先生は自分の口に放り込んだ。
また抱き寄せられて、唇が重なる。今度は、甘い味。

人の呼吸を考えない、いつもながら勝手なキスにくらくらしてくる頃に、それはようやく離れて。

「ファー、鍵、閉めてきて?」
「…病人は大人しく寝てなさい」
「ほら、汗かいて治せって言うだろ。だから、ファーと…痛たたたた!」

服の中に入り込んできた手を、思いっきりつねってやった。
熱に浮かされても、人間、根っこは変わらないものらしい。

結局先生は翌日には復活して、快癒祝いだとか言って散々な目に遭わされたのは…
語るどころか、思い出したくもない。


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王道・風邪ネタ…(´∀`)
もうひとつの王道ネタ・ケンカも多分そのうち逝きます(笑)