◆狸牛/PAIN

魔物を完全に制御したこの島は平和で、外の世界を―本当の世界を、忘れそうになる。

対峙している魔物の攻撃をかわしながら、おれはぼんやりとそう思った。
重そうなこの攻撃を正面からくらったとしても、死ぬことはない。

どういう仕組みかは分からないけど、その攻撃が致命傷に値すると判断された瞬間、結界が張られ、
致命傷に至らぬうちに安全な地域へと転送した上で、一定水準まで傷を修復してくれる。
座っているだけで見る間に傷が塞がっていくのも、同様のシステムなんだろう。

ふいにカードが飛んできて、目の前の魔物が霧散した。

「何じゃれてるんですか、危なっかしい」

持っていたカードを消したみたいにどこかに仕舞って、不機嫌そうに先生が顔をしかめた。

「戦いながらボーッとして…ケガでもしたら、どうするんだ」
「でも、死ぬことはないし」
「…怒るぞ?」
「あはは、ごめん、冗談。ちょっと考え事してただけ」

おれは嘘が上手くない。
案の定、先生はすっごく訝しげな目でおれを見てる。
だけど、先生は相手が一人になりたがってる時は、そっとしておいてくれる人だから。

「…気をつけろよ。何かあったら、連絡よこしなさい。飛んでくから」
「うん、ありがと」

不満そうに、それでも先生はおれに背を向けた。

空はよく晴れてる。
向かってくる敵だけを適当に倒して、進んでいく。

外の世界では、居住地区に現れた魔物を殲滅するのが仕事だった。
魔物が現れるのはいつも突然で、予知も予測もできないから、いつも少なからず被害は出た。
一般人も、仲間も。

何度も、命が散るのを見た。
何度も、必死で応急処置をして、消えかける命を繋ぎ止めた。

戦闘はいつも文字通り命懸け、零れ落ちた命は戻らなかった。時も、傷も、痛みも。

この島では、どんな魔物と戦っても、命を落とす事はない。
背後に新たな魔物の気配を感じながら、それでもおれは目の前の敵だけに剣を向けた。

現実じゃない。この世界も、痛みも、甘い幻。

対峙していた魔物が霧散する。同時に、背後の敵も。地面に刺さったカード。

「先生」
「…護衛するよ。目的地は?この奥の村か?」
「一人で大丈夫、ありがと」

距離を置いて、それでもついてくる足音―撒いちゃおうか。

少し振り返って、目が合った先生に笑いかけて、方向転換。全力で走り出す。
腕の結晶の通信機能も切って、気配も足音も振り切って、ようやく大きく息を吐いた。

帰ったら、きっとメチャクチャ怒られるんだろうな。
いっそこのまま、誰にも言わずに島を出てしまおうか。

そんなこと出来ないくせに、と心のどこかで誰かが言って、一人苦笑した。

まだ見たことのない魔物が数体、ゆっくりと近付いてくる。
軽く手首を振って、剣を構える。適当に走ったから、生息する魔物の情報は把握してない。

重い攻撃を受け流した手が、想像以上の痺れを訴える。
これはちょっと、マズいかも。

だけど、この島では…魔物に殺される人間はいない。
こんなにも沁み込んだ、この島だけに適用されるシステム。独自のルール。
敵と対峙する時に抱くべき恐怖心も緊張感も、忘れてしまうんじゃないだろうか。

命の、貴ささえも。

側面に回りこんだ敵の腕が、大きく振り上げられるのを目の端で見た。
目の前の敵の攻撃を受け流した剣で、それを牽制する。返す手で、前方の敵を斬り伏せる。

瞬間、真横の中空に魔方陣が浮かんだ。新たな魔物が出現する。
振り下ろされた腕をまともに受け止めて、木に左肩を打ち付けた。痛みに呼吸が奪われる。

腕の結晶は反応しない、まだ大丈夫ってコトか。

剣を構え直したその時、右手にもう一体の魔物が出現した。
ええと、こういう時なんて言うんだっけ。ばんじ、きゅうす?

空気を裂く音。カードが、今度は木に突き刺さる。
それに気をとられてガラ空きになった敵の脇腹に、剣を走らせる。
背後に回りこんだ一体、魔力で作られた盾が攻撃を受け止める、鈍い音。
背中が軽く触れ合う。

「何で」
「放っとけるワケないだろうが。職業教師舐めんなよ?」
「おせっかい」
「気が利くと言ってくれたまえ。にしても…ちょっとマズいな」

倒す先から、狙ったように距離を置かずに新たな魔物が出現する。
逃げるにも、数が多すぎる。無傷では振り切れない。

「回復もカードも、あまり余裕ないな…もっとしっかり準備してくるんだった」
「ごめん。引き付けるから、先生はその間に」
「死ななくても、痛いのは同じだろ。右手奥、お前は前の敵だけ片付けろ。後ろは防ぐから」
「…うん」
「無事に帰れたら、お礼して貰うからな。コーヒーとガトーショコラ」

少しだけ笑って、前方のみに神経を集中する。一体ずつ、確実に。
安全区域との境にある、光のゲートが見えた。もう少し。

矢先、目の前―進行方向に、4体の魔物が出現した。
一体に剣を走らせて、返すと同時に剣に込めた気を放つ。
あと2体。背後では、相変わらず先生の盾が耐えてる音。
それが突然砕ける音がして、思わず振り返った。

「!ファー!」

向き合っていた敵に構えていたカードを、先生はおれの背後に向けて投げつけた。
魔物が消える音。先生が向き合っていた敵が、無防備になった先生に、武器を振り下ろす。

相手をしていた敵のことなんて、アタマから吹っ飛んでた。

居合い抜きを模した型の剣技で、先生の敵にトドメを刺す。背中に重い衝撃。
息が詰まって、地面に倒れた。体は動かない。

「せんせ、うしろ…」

新しく沸いた敵に背後を取られて、先生も地面に沈む。
途端に興味を失ったように、魔物は方々に散っていった。

戦闘不能な状態だとみなされると、腕の結晶が反応して、周囲に局地結界が張られるようになってる。
魔物は見向きもしなくなるし、当然攻撃される事もない。

「くっそ、折角愛の力でここまで頑張ったのに…!」
「愛が足りないんじゃない?」
「そういうコト言う!?やだもう、更年期!?じゃない、倦怠期!?」
「コーヒーとガトーショコラは無し、だね」
「えぇー。せめて残念賞で手作り夕食デザート付きとか…」
「手間が増えてます先生」

くるくると動く先生のたぬき…じゃない、アライグマしっぽを眺めながら、倒れたまま苦笑した。
本当の世界なら、これって二人揃って死んでる状態なんだろうか。
それとも、本当に指一本動かせなくなるまで、必死で生きようとするだろうか。

「いつまでもここに転がってるのも情けないし、とりあえず帰るか。ほら、飛んだ飛んだ」
「はーい」

目の前に表示されている簡易転送画面に触れた。
景色が変わる。あと一歩のところで飛び込めなかった、安全区域。
数秒差で先生も現れて、道の端に並んで座った。

「…ええと…今度、ゴハン作るね。何がいい?」
「嬉しいけど、それはひとまず置いといて。何で目の前の敵じゃなく、オレの方に攻撃した?
 だいたい、音に気をとられて敵から気を逸らすなんて、今までなかっただろ」
「…油断してるのかな、やっぱり」
「はい?」
「この島じゃ、魔物に殺される事ってないから…油断が染み付いちゃったのかなって」

笑ってみせたおれに、先生の眉が微かに寄った。

「鈍ってるよね…久々に師匠に手合わせしてもらおうかな」

先生の手がスーツからタバコとマッチを取り出して、無造作に火をつけた。

町や安全区域で、地面に座っている人たち。傷はすぐに塞がって、彼らはまた出掛ける。
仲間同士の人たちが、狩り場で倒れた仲間に「待っててやるから走って戻って来い」なんて。

「現実じゃ…今も現実には違いないけど…外の世界なら、油断は本当に命取りなのに」
「まぁ、そうでもなきゃ、ただの高校教師や考古学者やらが魔物と戦えるワケないけどな」
「なんか…軽いよね、この島。魔物の命も、おれたちの命も。外に戻った時が、怖いな…」
「どうせ死なないから、って気持ちで危険に飛び込みそう?」
「それもあるけど…他の人の命まで、軽くなっちゃいそうで」

目の前で人が倒れた時、この島に来る前みたいに、ちゃんと「急いで助けなきゃ」って思えるだろうか。

ここは、居心地が良すぎる。
先生や皆はとても優しくて、この島は安全で平和で…怖くなる。
この島を出ることが、その島を出た後のことが、そして現実の世界が。

手遅れになる前に、出たほうがいい。ここは、おれには向いてない。

先生の手が、おれの髪に触れる。

「オレだから振り返ったんだよ、お前は。オレが死ぬのを恐れて」
「…そんなこと、考えてる余裕なんか」
「オレもつい、とっさに体が動いちまった…この島じゃ、魔物に殺されるヤツはいないのにな。
 他の連中はどうか判らんが、少なくともオレたちは、いつでも無事に帰ろうとしてるだろ」
「そう…なのかな」
「さっきだって、どうせ死なないんだから抵抗せずに沈んで楽に帰るって手段もあったのに、
 そんなこと考えもしなかったんじゃないか?オレもだけど」
「…うん」
「ここは仮想に限りなく近いけど、現実だ。痛みもあれば、血も出る…怪我の治りは異様に早いけどな。
 これからも、島のシステムに甘えなければいいんだよ」
「うん…」

「正直、前々から危ない点だとは思ってたんだけどな。というワケで、こんなものはどうでしょうか」

ぽんっ、と軽い音がして、先生の手に手のひらサイズのドラム缶が現れた。
手品っていうからには、どこかにタネも仕掛けもあるんだろうけど…実は魔法だったりしないかな、コレ。

「一回沈むごとに、100ゲルダ投入すること」
「へ?」
「ついでだ、リュウたちにも強制参加させるか。いっぱいになったら、皆で美味しいものでも食べる方向で」
「おれたちの命、一回100ゲルダ?」
「…そういうリアルなコト言うのはやめようね…いっそ値上げするか?本気で戦うくらい。一回1万とか」
「なかったことにされない?ていうか、先生が真っ先にしない?」
「……オーケィ、一回100ゲルダで。はい、入れた入れたー」
「あ、はい」
「ついでに先生の分も入れといてー」
「自分で入れなさい」

ドラム缶型の貯金箱は、二枚のコインでカラカラと軽い音を立てた。
…もう少しだけ、この島に居てみようか。例えば、この缶がいっぱいになるまで。

先生と目が合って、頭をくしゃくしゃと撫でられる。
もう少しだけ、この島に居てみよう。例えば、この缶がいっぱいになるまで。

もう少しだけ、先生の手の大きさや温かさに、甘えていたいから。


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たまにはメンタル系でたぬうし。
戦闘不能判定とか島内システム設定とか、例の如く適当に作ってます。信じないでくださいね(´∀`;