◆龍狸/倦怠 ※暗めな話です
気だるい体を起こすと、隣に寝ていたはずの人物はすでになく、
窓に引かれたカーテンだけが律儀に光の侵入を抑えていた。
人の形すら残していないシーツは、もう冷え切っている。
目覚めたら優しく抱きしめて、キスを落としてくれる…なんて、
甘い夢を抱くような歳でもないし、そんな仲でもない自覚はある。
それでも、朝飯くらいは一緒にーとか、せめて作り置き、最低でも食堂から持ってきて
ラップでもかけて置いてってくれるくらいの心遣いも出来ないものかと、内心で毒づいた。
特別な感情なんて、互いに―おそらく―抱いていない。
オレにはオレなりに思いを寄せる人間もあるつもりだし、おそらく彼も。
火遊びとか、生理的欲求とか…そういう類で生じたに過ぎない関係だ。
「…ハラ減った…」
我知らず零した声と、ドアをノックする音が重なった。
どちら様ですかと投げやりに尋ねると、聞きなれた高めのテナーが返る。
どうぞー、とこれまた投げやりに返したけれど、気にする風もなく、
律儀に「失礼しまーす」なんて言いながら入ってきた。
ベッドでぐだぐだしてるオレと目が合って、彼はようやく眉を寄せた。
普段は穏やかな紅い目が、あきれたようにオレを見てる。
「先生。もう昼だよ?」
「ファルくーん、先生ハラ減って逝きそうです…」
「何か作ってくるから、シャワー浴びて目覚ましなさい」
「はーい」
どっちが教師だか分からない会話は、ヤツとの間ではまずありえない。
全てを見透かしてるような、あるいは全てをどうとも思っていないような、冷ややかな目が頭を過ぎる。
他人に隙を見せず、他人を寄せ付けない雰囲気と毒舌を振るい…
時々やってきて、ロクに話もせず、いっそ笑えるくらい機械的に…
頭を振って、考えを中断した。
部屋に付けられた狭いバスルームに入って、シャワーのコックを捻る。
熱い湯を浴びて、清潔なシャツに袖を通すと、少し気分が上昇した。
食事にありついた後は、今日はどうしようか。
ファルはオレがなかなか顔見せなかったから、様子見に来ただけだろうし。
教え子の保護者兼監視役でこの島に来たから、他の連中みたいな偉大な目的なんて、オレにはない。
イプやライオのように賞金狙いなワケでもないし、ラヴィやキャーのように経験目的でもない。
「お待たせー、はいゴハン」
「あー、ありがとな。いただきまーす」
「先生、リュウと何かあった?すごい機嫌悪かったんだけど」
「ん、コレ美味いな。味付けが絶妙」
「またケンカでもしたんだろ。ダメだよ、リュウは顔に出ないけど、けっこう繊細なんだから」
「繊細、ねぇ…」
目も合わせずに、ただ機械的に触れてくる手。
オレの向こうに誰かを見ている、感情を見せない蒼い目。
「一人にして欲しそうな時だけ近付かないようにすれば、別に怒られないよ?
先生、そういうときでも平気で近付くから」
「その"一人にして欲しそうな時"ってのがすでに不明瞭なんだが」
「近付くなビームが出るじゃない、"ぬお〜ん"って」
"ぬお〜ん"を表現してるのか、ファルは両手をぷらぷらさせた。
「何でオレの所に来るかな…お前のがよほど付き合い易いだろうに」
「何が?」
「いや、何でもない。ファルくん、今日のご予定は?」
「ライオとウブス港探索、何か欲しい物があるんだって。
リュウは一日魔術書解読って言ってたから、たぶん部屋に…」
「ええと、それはどういう意味かな」
「仲直りしてきなさい。それじゃ、お邪魔しましたー」
食器は自分で片付けてね、と言い残して、ファルは出て行った。
リュウがオレをそういう対象に選んだ理由なんて、本当は分かってる。
誤解される心配がない、後腐れもない、傷付ける心配もない。
傷付ける心配というよりは、傷つけたとしても、ケアが不要だからか。
…なんかハラ立ってきたかも。
ファルは基本的に他人に甘い。
仲直りしに行かなくても、迫力のない顔と口調でちょっと注意されるだけだろう。
なかった事にして、散歩にでも行くかな。天気もいいし。
屋上でタバコの一本でも吸って、のんびり日向ぼっこもいい。
…そもそもオレは、どうしてヤツの誘いに乗ったんだったっけ。
何か気に入らないことがあって、半ばヤケみたいに…
「…あぁもう、どうにも調子が出ないなぁ…」
「独り言か」
低い声に慌ててドアのほうを見る。
思わず言葉を失ったオレに、リュウは相変わらずの無表情で、聞いてもいない答えを勝手に口にした。
「ファルに呼ばれた。仲直りしないと差し入れ停止だそうだ。俺はいつ貴様とケンカしたことになったんだ」
「お前さんの機嫌が悪いから、そう思ったんだろ」
盛大な溜め息。溜め息を吐きたいのはこっちだ。
「あのさぁ、リュウさん」
反転しかけた体を止めて、リュウは微かに首をこちらに向けた。
どうしてオレなのか。
聞こうとするのに、なぜか声が出ない。
「何を言おうとしたのか忘れたか?消すのは手品だけにしておけ」
いつもと変わらない毒舌は、普段なら気にもならない。
だけど、今は妙に頭にきた。
気合いを振り絞って、全力で声を出した。
「もう止めよう。続けても何にもならない」
リュウの表情は、ぴくりとも変わらない。
冷ややかな視線をオレに向けて、彼は短く答えた。
「断る」
そのまま振り返りもせずに部屋を出て行く長身を、オレは唖然として見送った。
処理の遅いコンピュータのように、頭が追いつかない。
断る。
詰まるところ、今の関係を止める気はないって事か?
意味も、進展させる気すらもないクセに?
「何だソレ…」
怒りよりも、酷い脱力感。ベッドに倒れ込む。
進展させる気がないのは、オレも同じだ。
オレとヤツじゃ、共倒れだとか、相討ちだとか、せいぜいそんな結末しか想像できない。
「何だよ…」
何よりも、安心感を訴える己の心が、腹立たしい。
急に書きたくなった龍狸。他がほのぼの主体な為か、妙に重苦しくなってしまいました…
ご意見やご感想など頂けると、嬉しい上に参考になります(´A`;