◆狸牛/疑心

「何だよこれ、どうなってんだ…」

いつもの8人でこの区域に入って、流れた時間はわずか30分。
その30分の間にオレたちは完全に混乱した挙げ句、追い散らされるままに散り散りになった。

突然目の前に現れ、襲ってきたのは、オレたちとまるっきり同じ姿をした8人。
頼みの綱の通信機能は、この区域に入った途端、パーティーシステムと共に不通になってしまった。

「先生」

呼ぶ声に跳ねる心臓を隠して、右手にカードを潜ませたまま、オレは声を振り返った。
乱れた真紅の髪を煩わしそうに指先で払って、彼はオレの潜む岩陰にしゃがんだ。

「先生…本物だよね。皆大丈夫かな、見分けつかないから助けようにも…どうしよう…」

不安げな声。片手は鞘に収められた剣の柄にかけたまま、岩陰から外を窺っている。
これは本物…だよな。

「ファー、とりあえずここを出よう。こんな状況じゃ、たぶん他の連中もそうするしかないだろうし…
 万が一倒されても、島のシステムで安全地帯に飛ばされるだけだろうし」

きょとんとオレを見ていた穏やかな瞳が、険しく引き締められる。
2歩分ほど距離を置いて、ファルは居合い抜きの体勢を取った。

「皆を置いてくなんて、先生なら言わない。島のシステムに甘える危険性を、先生は危惧してた」
「ファー、落ち着きなさい…今はそんな事にこだわっていられる状況じゃないだろ。
 間違って味方に攻撃するくらいなら、さっさとここを出たほうがいい。
 オレたちが出れば、ここに居るニセモノも消えるかもしれないし。な?」
「そんな…おかしいよ。先生、本物じゃないの?本当にニセモノ?」

泣きそうな声を出して、ファルはさらに距離を置いた。

ファルは、外界―島の外の世界では、街中に沸いた魔物を狩る、いわゆる"ハンター"をしていると聞いた。
困難な状況や混乱に慣れているのか、ファルが自分を見失ったり慌てふためいたりするのを、オレは見たことがない。

この"ファル"は、ニセモノかもしれない。しれないけど、ファルだって人間だ。絶対に混乱しないなんて言い切れない。

「他にどうしようもないでしょ。外に出られるのは本物だけだろうし、とにかく…」
「違う、先生じゃない…!」

見慣れたファルの動作。剣から衝撃波を飛ばす技、甘んじて喰らうのは危険だ。
紙一重、衝撃波に掠めとられた髪が数本、はらはらと宙に舞う。

本気でオレを仕留める気だ。本物じゃない。
カードを構える。

「先生…おれに攻撃するの?」

紅い瞳が悲しげに歪むから、めまいがする。構えたカードは、指から離れようとしない。
ファルの剣が綺麗に翻る。よほどの強敵にしか使おうとしない、一撃必殺の型。

何なんだ、この悪夢は。
ここで本物が華麗に現れて助けてくれたりしないかな。しないよな。王道すぎるもんな。

とっさに魔力で形成した盾は、ファルの攻撃をまともに受け止めて、一瞬で消えた。
うわぁ、本気ですよ。防御系の魔法がちょっと使えるだけのタダの教師相手に全力投球ですよ。

「先生、何で抵抗しないの?」
「お前に攻撃するくらいなら、倒されて安全地帯に飛ばされるよ。さぁ、一思いにやってくれい」

困惑の色を顔に浮かべて、けれどファルは臨戦態勢を解かない。

ファルの背後にきらめく、無数の青い光。
魔法を反射する盾を形成するどころか、腕を引こうと伸ばした手さえ間に合わない。
光は真っ直ぐにファルの背中に突き刺さって、倒れる体はオレの腕に。

「ファー…」

ファルの口が微かにオレの名を紡いで、紅い瞳から光が消える。抱き止めた体が、掻き消えるように空気に溶けた。
腕にはまだ、重みと体温がリアルに残っている。

何だよ、これ。

「ラク」

差した影に顔を上げると、リュウが無表情に突っ立っていた。

「今の…魔法は、お前が」
「武器を向ける者は、ほぼ敵だ。間違っていたとしても、安全地帯に飛ぶだけだろう。
 何人かは外に出るように誘導した。貴様も本物だという自覚があるなら、さっさと出ろ」

言ってる事は分かる。分かるし、元々リュウは合理主義者だ。
それでも、仲間に迷う事なく強力な魔法を撃ち込むなんて…いくらなんでも、おかしい。

「聞こえなかったのか?さっさとこの区域から出ろ。強制転送されたいのか?」
「…ファーは…」
「今のがニセモノなら、他には会っていない。俺はもうひと回りしてから出る、早く行け」

そう言い残して、リュウは背を向けた。普段と…本物と変わらない、性格が滲み出た動作。
だけど彼は、少しのためらいも無くファルを―。

…早く出よう。これ以上ここに居たら、気が狂ってしまいそうだ。

通信系は動かなくても、マップ機能は変わらず動いてる。位置を確かめると、出口はそう遠くはない。

「…せんせ?」

聞き慣れた、他の人と話してる時よりも幾分か甘い声。
振り返ると、鞘ごと引き抜いた剣を片手に、ファルが距離を置いたまま首を傾げた。

「大丈夫?ケガはない?」
「あ、ああ…」

もう一度首を傾げて、ファルは真っ直ぐにオレの前まで歩み寄った。

覗き込む顔も、穏やかな瞳も、真紅の髪も、いつもと変わらない。
本物か否かなんて…考えたくもない。

"ファル"が手を伸ばして、オレの手首をつかんだ。カードを扱う利き手じゃなく、左手。
"ファル"は利き手じゃなく、左手に剣を持っている。

「行こう、皆も戻ってるかもしれないし。信用できなかったら、いつでもカード投げつけていいから」

手放しの信用。オレを本物だと確信しているんだろうか。

「ファー。オレがもしニセモノだったら、お前…」
「先生、ニセモノ?」

そう聞く声は、ちょっと笑ってる。つかんだ手も、歩く速度も変わらない。

「おれは臆病だから、信用されるより信用する方が楽でいいなって思ったんだ。
 島のシステムがあるから、間違ってても死ぬことはないんだし。だから大丈夫」

どんな理屈ですか。

「お前、ホント男前な性格してるな…」
「難しいこと考えられないだけだよ…うわっ!?」

つかまれた手首を逆につかみ返して、抱き寄せてみた。温かい。

「ちょ、せんせ…甘えてもいいから、せめて安全な場所に移動してから」
「安全区域じゃ、たぶん何人かは先に戻ってるだろ。だから今甘えとく」
「危ないからダメ、ホテルに戻ったらいくらでも付き合うから。早く行こう、ね?」

渋々と抱き締める腕を解くと、ファルは笑って、再びオレの左手を持った。
年齢や立場的には逆の気もするが、立ち込めていた暗雲をアッサリと吹き飛ばしてくれたから、
今日のところはファルに甘えてしまおう。

手首をくるりと返して手を繋ぐ。驚いたように見上げるファルに、オレはようやく安堵の笑みを浮かべた。


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某人狼ゲームで疑心暗鬼を味わったのを生かそうと試みて…見事撃沈ですorz

いっそ表で長編でドロッドロの作品を…というのも考えたんですが、
そういう話は書いてて辛いので、いつもどおりの短編に逃げましたorz