◆狸牛/彼岸

ラヴィやキャーの学園と保護者への定期連絡をようやく終えて、思いっきり体を伸ばす。
時間は23時、今からホテルに戻るのもナンだし、今夜はこのままキャンプに泊まったほうがいいか。

仕事で火照った頭をリセットする為に、キャンプはそのままに、タバコを手にオレは外へと出た。

空には細い二日月、雲は見当たらない。
海の音が聞こえる。そういやこの近くに、海に面した眺めのいい崖があったっけ。
のんびりと歩く視線の先の空を、やっぱりのんびりと月が付いてくる。

「…お?」

柔らかい風に乗って聞こえるのは、微かな声…歌か?
船を沈めるセイレーン…にしては、声質も音程も普通すぎるか。そもそも聞き慣れた声だし。

林を抜けると、目の前の崖に立つ人影が見えた。

今やほとんどハッキリと聞こえる歌声は、どことなく懐かしいメロディー。
プロのように上手いってワケじゃないけど、悪くない。

木に背を預けて、タバコを取り出す。
一瞬弱まった歌声がこちらを向いて、再び海の方を向いた。
気付かれたかな。別に構わないけど。

藍色の海に伸ばされた手から、白い影がはらはらと風に舞う。
ふいに吹いた強い風に、人影がぐらりと揺れた。

くわえかけたタバコが地面に落ちる。
砂を蹴る足がもどかしい。
腕を伸ばす。

抱き込んだ体から、白い花びらが一気に虚空に舞い上がった。

「…先生?」

聞こえるのは、波の音と、穏やかな心音。

「ファーが、落ちるかと思った…」

ファルを抱き締める自分の腕が、笑えるくらいに震えてる。

この崖の上は、傍から見て想像するよりもずっと足場が広くてしっかりしてるって事を、オレは知っていた。
ただ、ひとり藍色の空に浮かぶ影が、あまりにも頼りなかったから。

「ファー」
「落ちないよ、大丈夫」

苦笑交じりの沈んだ声。かすかに捩る体を、一層強く抱き締める。

リュウとは違う方法、目立たないやり方で、ファルはあまり感情を表に出さない。
いつもにこにこと穏やかに笑って、重苦しい感情は奥底に沈め、隠してしまう。

「先生…」
「甘えたい気分なんだ、甘えさせろ」

とっさに出た、我ながら稚拙な言い訳。
それでもファルは少し笑って、予想どおりに抵抗を止めた。

「腹立つなぁ…」
「何が?」
「先生の知り合いにね、人のことばっかり考える人がいるんですよ。
 もっと自分のこと考えてもいいのに、バカみたいに他人ばかり優先して、ヘラヘラ笑ってやがる」
「その人に、直接そう言ってみれば?」

自覚ゼロ、本気で腹が立つ。
弱っている時に傍にいてやることさえ、言い訳を作らなきゃ出来やしない。

足元に残った花びらが、思い出したように風に舞う。

「さっきの歌…もっと聞きたいな。故郷の歌か?」
「ああ、うん。オクリウタ」
「送り?」
「亡くなった人の魂が、迷わずに常世に辿り着けるように送る唄。今日、村の命日だから」

一夜にして魔物に滅ぼされたという、ファルの故郷。
連絡を受けたハンターたちが村に着いた時には、すでに生存者はわずか4名。
魔物の襲撃の最中、倒れた秋祭りの灯篭から火が出て…とにかく、村は酷い状態だったらしい。
かろうじて犠牲者の埋葬だけを終えて、ファルたちはハンターと共に村を出ることになったと聞いた。

「ちょっと遠いけど、こういうのは気持ちだろうから…割り切るにも、いいキッカケになるって言うし」

淡々と語る声に、感情は見えない。

「この花びらも、弔いの為か?綺麗だな」
「うん」

月に照らされた海が、静かに揺れる。
背後から抱き締めた形のまま、ファルの冷え切った腕を撫でた。

「冷たいな…いつからここに居るんだ?」
「…、先生が来る、少し前…かな。寒くはないから大丈夫」

身を捩ってオレの腕から逃れて、ファルは笑った。

「先生、先に戻って。おれは、もうちょっとだけここに居るから」

一人にしてくれって言ってるようなモノだ。
いつもなら引き下がるトコロだけど…今のファルは、一人にするのは危なっかしい感じがする。

「村の事、思い出しちゃったか?」
「…うん、まぁ…。でも、別に今更」
「平気って顔じゃないぞ、今のお前さん」
「あー…ごめん、ちょっと一人で居たい気分なんだけど」
「オレは、一人にしたくない」
「…お願いだから」
「断る」

ファルは珍しく不快をあらわに、真っ直ぐにオレを睨んだ。

敵と対峙している時のような瞳。
その白刃のような気の込められた瞳が自分に向かうのは、当たり前だけど初めてで…涌き上がるのは、微かな恐怖。

痛いほどの拒絶、だけど。

「傍に居たいんだ。力になりたい」
「…必要ない」

らしくない物言いに、思わず笑った。
表面を取り繕えないほどに、切羽詰ってるのか。

不機嫌に顔を逸らしたファルの腕を捕まえて、もう一度抱きすくめた。
肩を撫でて、髪を撫でて、額にキスを落として。

「何があった?」
「…話したくない…分かってるんだ、割り切るしかないって。だから、必要ない」
「前にも言っただろ、何でも話せって。少しは気が紛れるかもしれないし。それとも、そんなにオレは信用ないか?」
「…そういう…つもりじゃ…」

目を伏せて零した声には、戸惑いが浮かんでる。
拘束するように強く抱いていた腕から力を抜いて、そっと抱き締める。

何度も頭を撫でるうちに、ファルは額をオレの肩に付けた。

「…絶対に忘れないと思ったんだ。景色も、顔も、声も…全部」
「うん」
「でも、隙間から零れるみたいに、気が付くとちょっとずつ薄れてる…」
「うん」
「あんなに悲しかったのに、思い出しもしない日もあるんだ。そうやって…少しずつ、忘れてく…」

背中に回った腕は、縋るように。
絞り出す声は、涙を含んで。

「すごく大事なのに…消えていく…」

深いところで眠ってるだけだとか、誰でも何でもそういうものだとか、よくある答えが浮かんでは消えていく。
何を言っても、答えにも救いにもならない。
ファルが言ったとおりなんだろう――"割り切るしかない"。

「ファー」

オレの肩に顔を埋めたまま、ファルは声を殺して泣いている。

「オレに、どうして欲しい?」
「…しばらく、このまま…」

返事の代わりに、震える肩を宥めるように叩いて、背中を撫でる。
ファルの向こう側で輝く海が、白い月が、時折風に舞い上がる花びらが、恐ろしいほどに綺麗で。

故人を想って泣きたくなる気持ちが、分かった気がした。




「…頭痛い」
「泣きすぎだな。目も赤いし腫れてる」

眉を寄せたファルの表情は、それでも先刻よりもずっと軽くなってる。
少しは気晴らしになったかな。
これを機に、もっと甘えてくれるようになるといいんだけど。

「さぁて、帰って寝ますか。もう遅いし、ファルくんも先生のキャンプに泊まりますか?」
「あー、ごめんね、付き合わせちゃって」
「いや、元々今夜はキャンプに泊まるつもりだったからな。遠慮しないでイラッシャーイ」
「宿泊料は朝ごはん?」
「さすが、分かってらっしゃる。今夜カラダで払うっていうのもアリですけど」
「朝ごはんでお願いします」

真顔で答えたファルの頭をくしゃくしゃと撫でて、いつもどおりにオレは先に歩き出した。
背中に軽い衝撃。振り返る前に、小さな声。

「せんせ。ありがと」
「…どういたしまして」

さくさくと砂浜を踏むオレの足音に少し遅れて、ファルの足音が付いてくる。
微かなその音が、不思議と優しく耳に響いた。


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ファルの村関連の詳細は[記憶]参照でお願いします…といっても密度には大差ない罠が。
うっかり重い話が続いたので、次は軽い話をば(´A`;

2007.9.