◆龍牛/maze-1 

固く閉ざされていた目が、ゆっくりと開いた。
先刻まで茫洋とした闇を含んでいた紅い瞳が、いつもの穏やかさを取り戻している。

「…戻ったか」

俺の声に瞬いて、それから目だけで周囲を少し見て、ファルは気だるそうに息を吐いた。

「…ごめん…」

俺と行動を共にする事が増えてから、ファルの周囲に影響が出始めた。
はっきりとは見えないようだが、その辺を漂う精霊を見るようになった。
そのうち、呪術師が飛ばす生霊や死霊さえも感知するようになり、感化されて体調を崩すようになった。

可視能力は呪術を操る俺の近くに居る所為で、長く離れれば元に戻る可能性はある。

「…気持ち悪い…」
「呪いを呪いで抑えている。何かを拾ったり、誰かに渡されたりしたか?」
「あ…落し物…リュウが落としたから、渡して欲しいって…石みたいなのを受け取ったんだけど、消えて」
「それは、どんな人間だった?」
「フード、被ってて…顔は分からないけど、手の甲に大きな痣が」
「分かった。呪いを解く、眠っていろ」

相手を眠らせる魔法の詠唱を始めると、ファルは泣きそうな顔をした。

体に影響が出るのは、本人の魔法や呪術に対する抵抗力が極端に低い為。
対策で一番早いのは、抵抗力を高める物を身に付けさせることだ。

その為の用意が出来るまで傍に寄るなと言っておいたのが、今回は仇となった。
この程度の呪いなら、何もせずとも跳ね返せる…傍にさえ居れば。

小さな寝息は、まだ微かに不調の音色を含んでいる。再び閉ざされた瞳から零れた涙を、指先で拭った。

サイドボード、一番下の引き出しから小さな箱を取り出す。
魔術の類から身を守る呪いを込めた石を抱いた、細工物の銀のチョーカー。

銀の細工など頼まずに、さっさと渡してしまえばよかった。

呪術を生業とする俺の一族が操る呪いは、呪術を扱う人間の中でも異端とされている。
一族が最初に必ず習得する呪いは、対象を一瞬で仕留める、一撃必殺の術。
能力の増減を操る術や生命を左右する術…多種多様な術を操るが、それらの基点は全て"無"、イコール"死"。

それを快く思わない呪術師は多いと聞く。
族長の血を引く俺の周囲にも、それらは昔から現れていた。

元々他人との馴れ合いは好まない、故に守るべきは己の身ひとつ…だった。
周囲にまでその火の粉が及ぶとは、少しも考えていなかった。

こうなった以上、言うべきなのだろう。

俺から離れろ、と。


******************


眩しさに目を開けた。
自分の部屋とは違う内装…ここ、リュウの部屋だ。

カーテンの引かれていない窓から、太陽の光が差し込んでる。

体を起こすと、右手にかすかな痛み。拳にはうっ血の痕―覚えはない。
他にもあちこち痛むけど、ケガをするような戦闘なんてしてない。

…何を、したんだろう。石を受け取って…それから、何があった?

「具合はどうだ」

リュウの声に顔を上げると、蒼い目が心配そうに見下ろしていた。

「あ…、うん、大丈夫…あの」

するりとリュウはおれに背を向けた。話をする気が無いという意思表示。
リュウの落し物だと言われて受け取った石が消えて、貧血みたいにくらくらして…その先。思い出せない。

「…リュウ、おれ」
「寝ていろ」
「あの人は」
「…俺の一族と敵対する者だ。俺が、お前を巻き込んだ」

淡々としてるけど、ちょっと声が沈んでる。

「だから、お前が気に病むことは無い」
「…おれ、何をした?」
「……」

振り向いた顔は、複雑な表情を浮かべてる。

「あの…右手、硬い物を殴ったみたいに痣になってて…
 他にも、無理に動いたっていうか…格闘技を始めた時みたいに、変に痛めた感じがして」
「…治す。どこだ?」
「そうじゃなくて。おれ、何をした?倒れただけなら、こんな…」

一層眉を寄せて、リュウは唇を結んだ。

「リュウ」
「…まだ、動かないほうがいい。寝ていろ」
「リュウ…」
「聞こえなかったか?」

有無を言わさない、強い口調。
最近のリュウは随分穏やかに話すようになったから、そんな声は久しぶりで…思わず追求する声を飲み込んだ。

ベッドに沈めた体が痛い。

意識を失っただけじゃない。
リュウの一族と敵対する人が…リュウを狙う為に、おれを利用したなら。

「…リュウに、攻撃した…?」

リュウの肩が、僅かに揺れた。

「お前の所為じゃない。少し出る…寝ていろ、いいな」

低い声。
そのまま背を向けて、リュウは足早に部屋から出て行った。

勝手に涙が溢れてきて、視界がぼやける。
右手が痛い。
体が痛い。

リュウには何度も迷惑をかけてきた。
きっと今度こそ言われる。

離れろ、と。


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初挑戦の両サイド一人称視点、判り難くならないよう気をつけます。