◆狸牛/記憶-3

「おー、美味そうな匂い!!」
「ホントだね〜!あたし、たこ焼き食べたい!」

屋台の灯りが見え始めた途端、ライオとラヴィが一直線に走り出そうとした。

「はい、待ちなさい」

ライオをラク先生が、ラヴィをフォウ先生が、首根っこや腕を捕まえて引き止めた。
いつものその光景に、ちょっとだけ安心する。

そわそわと落ち着かない二人に、ラク先生が苦笑した。

「どうせそのうち何人かはぐれるだろうから、今のうちに言っておくぞー。
遅くても10時までにはホテルに戻る事。知らない人にはついて行かない事。
もし迷子になったら、その辺の人じゃなく、屋台の人に道を聞く事。いいな?特にライオとラヴィ」

職業丸出しな先生の発言に、イプとキャーがくすくすと笑った。

「何だか、修学旅行みたいですの」
「ラクせんせ、堅苦しいよ?ラヴィは私がちゃーんと見てるから、大丈夫。任せて」

ラヴィとキャーは、ラク先生の生徒で、学校でも仲が良かったらしい。
自由奔放に走り回るラヴィを適度に抑えるキャーは、正直、ちょっと凄いと思う。

フォウ先生が、小さく首を傾げた。

「イプちゃんと私も、ラヴィちゃんたちと一緒に行くけれど…ライオくんは、誰が見るのかしら」
「フォウせんせー、俺子供じゃないんだから…」

「ファーもリュウも、別に予定はないんだろ?3人もいれば、一人くらい付いていけるだろ。
…なんだかもう、いよいよ引率の先生って感じになってきたな…」

うろうろと体を動かしていたラヴィが、痺れを切らしたようにフォウ先生の藤色の浴衣の袖を引いた。

「オナカ空いたー!話してないで、早く行こうよー!」
「あ、そうね。それじゃ、行きましょうか」



屋台の明かりと、街灯に張り巡らされた線に吊り下げられた、提灯の灯り。

太鼓と笛の音が近付いてくると、うるさいくらいに心臓が鳴り始めた。
寒い。気持ち悪いくらいに、肌が粟立っているのが分かる。

「あ、ファル、ほら、焼きソバ!美味そー!あ、アレ何だろ、なんか辛そー!」

ライオの声に、夜闇が上手く誤魔化してくれるのを祈りながら、半ば反射的に笑って見せた。

眩暈がして、よろける。腕を掴まれて、ピントが合うみたいに、意識が引き戻された。
腕の先を見上げると、リュウの蒼い目が、心配そうに見ていた。

「…大丈夫か…?」
「あ…うん、ごめん、ありがとう。浴衣、慣れてなくて」

「ああ…」

眉を寄せながらも、リュウは納得してくれた。内心で、安堵の溜め息を吐く。
迷惑は…かけたくない。適当に理由をつけて、先に帰ったほうがいいかもしれない。

ふいに、ライオと先生の声が耳に飛び込んできた。

「お、なんか面白そうなもの発見ー!」
「ちょ、バカ、ライオ!くっそ、見失った…リュウ、見えないか?」

リュウの長身が遠ざかって、また景色が歪む。
はぐれないように、しないと。

…寒い。



気が付いた時には、人波に流されていた。知ってる姿はどこにも見えない。
はぐれる事は予測していたから、ホテルに戻っていれば、多分大丈夫だろう。

震える体を両手で押さえて、屋台と人波の途切れた場所に出た。
真っ直ぐに立っている木が邪魔で、屋台が立てられなかったんだと思う。

息をついて、木を見上げると―紅い、提灯。
雑踏と喧騒と祭囃子、視界には―どこを見ても、紅い光が暗闇に浮いている。

体の奥底からどうにもならない震えが涌き上がって、しゃがみ込んだ。
視界の景色だけでも追い出したくて、抱えた膝に顔を沈めた。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。
何度も繰り返す。

今は、あの日じゃない。この音も、景色も、あの日とは違う。
頭では分かってるハズなのに、体は言う事を聞かない。

動けなくなる前に、帰ればよかった。
心臓がうるさい。

息が、苦しい。
寒い。

……怖い。

「ファー?よかった、見付けた」

大きな温かい手が肩に触れて、呼ばれて、顔を上げた。
見慣れた顔が、安心したような、気遣うような…複雑な表情で、おれを見ていた。

「…せんせ…」
「大丈夫か?顔、真っ青だぞ。どこか、具合悪いのか?気分は?」

頭を撫でられて、安堵感と一緒に、涙が溢れてくる。
差し出された手に掴まって立つ。思うように動かない体を、先生が支えてくれた。

「動けるか?もう少し、落ち着ける場所に」

「村が…魔物に襲われた時…秋祭りの、最中で…今日みたいな、音と…景色で…」
「…うん」

「大丈夫だと思ったんだ…だけど、やっぱり怖くて…」

引き寄せられて、先生の胸元に顔を埋めた。

「夢は夢だし、この音も景色も、あの日じゃないって、ちゃんと分かってるのに」
「うん」

「自分で、何とかしなきゃいけないって…分かってるのに…」
「だから、話さなかったのか。ファル君、先生怒るぞ?そこに正座しなさい」

「…ここ、外だよ…」
「授業中の私語禁止。気持ちだけでも、正座したつもりになりなさい」

変な事を言う真剣な声に、少しだけ笑った。
くしゃくしゃと頭を撫でられて顔を上げると、先生も笑っていた。

「そこの海岸まで、歩けるな?ほら、掴まって。ゆっくりでいいから」
「海岸で、正座?」

「はは、そうだな。大丈夫か?」
「うん…ありがとう」



海岸に出ると、祭の熱気と喧騒は遠ざかって、代わりに涼しい風と波の音が迎えてくれた。

空気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
先刻までの症状が嘘だったみたいに、震えも心音も治まってきた。

「落ち着いたか?」
「うん、ごめん、迷惑かけて。少し休んだら、ホテルに戻るから…先生は」

「あの人ごみに戻れ、とか言うんじゃないだろうな?サングラスを死守するのは、もう疲れました。
服も髪も乱れるし、折角の色男が台無しだ…あれ?煙草落としたか!?」

「禁煙しろっていう、神様の思し召し?」
「オレから煙草取ったら、端整な顔と聡明な頭と優しい心と色気しか残らないよ」

「あはは、充分じゃない、煙草止めちゃえー」
「…まぁ、今夜くらいはいいか」

整った甘い顔が近付いてきて、唇が重なった。一瞬で顔が熱くなる。
そのまま腕を引かれて、抱きしめられた。

…温かい。

「ファー。オレには、何の手助けもさせてもらえないのか?」

顔を上げると、怒ったような、だけど悲しそうな瞳が、見下ろしていた。

「先生はね、ファル君。こう見えて、けっこうキミに救われてるんですよ」
「…へ?」

「この間のツタンの時もそうだけど、先生我侭で自分勝手だから、時々キミに当たるんですよ。
なのに、すっとぼけた顔でにこにこ笑って、そのクセ的を射抜いた返答するんですもの。
毒気は抜かれるわ、悩み解消で気分爽快になるわ、なんかもう救われまくり?」

「…は?」
「だから、たまにはオレも、ファーの力になってみたいんだよ。無理かな?」

説明はワケが分からないけれど、気持ちは、すごく嬉しい。
嬉しいけれど。

「ありがと…でも、悩みじゃなくて記憶だから、話しても…」
「悪い夢の話でも、怖いものでも、オレはファーの話を聞きたいよ。それじゃダメか?」

「…でも」

「オレの部屋、いつでも鍵開いてるだろ?冗談じゃなく、怖い夢見て眠れなくなったら、
いつでもおいで。一人で居たくない時も。オレもそうするから」

「…先生も?」
「うん。覚悟してろよ、叩き起こしてでも、話聞いて貰うからな」

怖い夢を見て眠れなくなって、泣きつく先生。想像して、ちょっと笑った。
背中を撫でる手が優しくて、安堵感が広がる。

「さて、どうする?折角だから、少し散歩して帰るか?」
「ん…ちょっとだけ、祭…覗いていい?」

「あ?ああ、構わないが…大丈夫か?辛くなったら、すぐ言えよ?」
「うん。いかぽっぽ食べたい」

「あはは、了〜解。絶対にはぐれるなよ、カード投げてでも探すからな?」

冗談交じりの優しい声が、潮が満ちるように、安心感を与えてくれる。

先生が一緒なら、あの日の記憶に刻まれた恐怖も、他のどんな事でも…

きっと、それほど怖くはない。


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トラウマ話連載終了〜。
強い牛が描きたいんですが、どうも題材選択を尽く誤ってる感がしないでもないような。
いかぽっぽは、甘辛醤油で味付けしたイカの姿焼きです。地方物だったんスね、失礼しました(´A`;

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